キルギス・鷹狩り~チョンケミン
2013/10/08 (5日目) 続き
14:45 チョルポン・アタを出て、西に進路を取ります。昨日通った道を戻る感じです。本来であれば、イシク・クル湖の東端まで行くはずが、暴動とやらで行けないというので、翌日戻るはずだった道を今戻っているわけです。イシク・クル湖の西端の町を通り抜けます。東のカラ・コルはまた全然違う町だったろうと想像をめぐらします。

16:10 道路にバスを止め、広い空き地で鷹狩り見物をするそうです。恐らく渓谷か盆地で見学する予定だったものを、無理やり適当な場所でやることにしたようです。情緒も何もあったものじゃありません。

どこからか車でやってきたキルギス伝統の帽子を被った柔和な顔立ちの鷹匠さんが、主役の鷹の紹介をします。3年前に捕まえて育成しているというトイゴンという4歳メスだそうです。ちなみに鷹って50年くらい生きるそうです。獲物が見えないように目隠しされています。

こちらが餌にされる可愛そうな黒ウサギ。このために飼われていたもので、まったく逃げようともしません。

鷹は4,5キロ先から獲物が見え、動いているものほどよく見えるそうですが、今日はほんの20-30メートル先のおとなしいウサギを狙います。目隠しを取られると、まっすぐにウサギめがけて飛んでいきました。あれ、思ったより滅茶苦茶低空飛行です。

重さ5,6キロあると思われる体で鷲掴みにし、しばらくしてからそのまま食べ始めます。
ウサギが暴れて砂煙が舞います。かなり血生臭くて、気持のいいものではありません。でも、11月から鷹たちは狐や狼の狩りに使われるのだそうで、訓練のためにも必要なのでしょうね。

鷹も普段は檻で飼われているそうで、鷹匠に懐いています。腕の上でもぎ取った頭を食べ続けます。毛ごと食べて、消化できないものは明日吐くんだそうです。あまりにえぐいシーンで皆すっかりトーンダウン、楽しい観光じゃないことは確かです。大自然の中でならまだしも、寂れた郊外の空き地で見るものじゃないですね・・・。

ちなみに、鷹を腕に乗せて写真を撮るのは100ソムでしたが、狩りを見物した後じゃ誰もそんな気分にはなれなかったようです。
17:45 峠の道端、路肩でバスを止めます。この前に行きにも利用したドライブインでトイレ休憩したばかりですが、どうしたのでしょう。

峠にはモニュメントもあり、遥か眼下には川も流れているようです。日が陰ってきたので、急激に風が冷たくなってきました。

道端にはユルタがあります。お土産屋みたいなところみたいです。
今日お昼に出すはずだった馬乳酒が手に入らず困っていて、夕飯時に代わりにビールなどをつけますということでしたが、ここで手に入るかもと立ち寄ったそうです。そういうお店だったらしく、馬乳酒を買えたので、夕食時に試飲して下さいということでした。

ユルタの中に入ってみましたが、他に何を売っているでもありませんでした。もう観光シーズン終わってますしね。で、天井を見上げると、あ、なるほど、キルギス国旗の真ん中部分、こんな感じだったなと思い返します。

さて、再びバス移動です。途中で快適な道路を外れ、どこに連れて行くんだろうと思うような山道を抜けていきます。車窓はどこを向いても山、動くものは動物ばかり、が続きます。

18:30 Arr HTL
チョン・ケミン地区という所にあるアッシュゲストハウス(ASHU GEUSTHOUSE)に到着しました。周囲はど田舎の村で、このゲストハウスもよく言って高原地域にあるペンション風といった感じです。すぐに暗くなり、ホテルの前を羊とかが単独で歩いていたりするような村です。

すごい所ですが、Free Wi-Fi(ID/PWなし)付きでした。さっそく暴動とやらの情報を検索します。やっと見つけた英語の情報はタス通信のサイトだけで、全部読む限り暴動とは大げさな表現ではないかと思いました。原因がはっきりしていて鉱山開発に関するデモで、武器を使ったのは治安部隊の方、催涙ガスなどの殺傷能力のないものでした。それもデモの首謀者たちは前夜のうちに捕まって移送されたと・・・。
過剰な対応だったのではと旅行会社に対する不振が募ります。現地ガイドも反政府側の政治活動しているような人だし、いくら日本語が流暢でガイドとしても経験豊富といっても、大げさに煽って、さも安全を確保してあげたみたいな言い方が鼻に付き、とても有難がる気にはなれません。
しかしびっくりしたことにツアー参加者の一部は今日行く予定の所がどんな所だったか知りもせず、行程変更を何とも思っていない人がいたことです。ドゥンガンの文化とか、木造のロシア教会とか、有名な探険家のお墓とか、渓谷や盆地以外も行く予定だったんですよ、と言うと、へーそうなの、とこういう有様でした。旅行の目的はいろいろだと悟りました。
後日分かったことですが、現地の実情がどうあれ旅行会社が安全確保を理由にすれば、行程変更や観光を割愛しても旅程保障する必要がないということです。ツアー旅行の約款には、地震や戦争などみたいな書き方で、本当に差し迫った命の危険がある場合などに見える文章ですが、怪我するかもと思っただけで大幅に変更しても保障の義務はないのが実情だそうです。しかも、それだけの変更をしておいて、宿泊地が変更になったことなどを緊急連絡先に知らせていないし、何か起こった際の対応は大手と違いが大きいと実感しました。何かあったら判断は全て旅行社に従うしかない、お金が返ってくるどころか出費もありえるというツアーのリスクを目の当たりにしました。
19:00 ゲストハウスのレストランで夕食です。
肉の入ったピラフみたいなご飯とサラダ、食後にスポンジケーキ、のみの素朴な内容です。急遽泊めることになったので、材料もなかったのでしょうけど、ツアーの食事がこんなだったのは初めてです。

で、こちらが峠で入手した馬乳酒。もうこの国に二度と来ることはないだろうとこの時点で思っていたので、思い切って一口試してみることにしました。スモークチーズとヨーグルトの合わさったような感じの味わいで、決しておいしいものではありませんでした。

明日の出発は10:00というので、こんな何もない所ではどうしようもないので、せめて9:00にと皆で申し入れしました。
次回はこのチョン・ケミンがどんな所かレポートします♪
14:45 チョルポン・アタを出て、西に進路を取ります。昨日通った道を戻る感じです。本来であれば、イシク・クル湖の東端まで行くはずが、暴動とやらで行けないというので、翌日戻るはずだった道を今戻っているわけです。イシク・クル湖の西端の町を通り抜けます。東のカラ・コルはまた全然違う町だったろうと想像をめぐらします。

16:10 道路にバスを止め、広い空き地で鷹狩り見物をするそうです。恐らく渓谷か盆地で見学する予定だったものを、無理やり適当な場所でやることにしたようです。情緒も何もあったものじゃありません。

どこからか車でやってきたキルギス伝統の帽子を被った柔和な顔立ちの鷹匠さんが、主役の鷹の紹介をします。3年前に捕まえて育成しているというトイゴンという4歳メスだそうです。ちなみに鷹って50年くらい生きるそうです。獲物が見えないように目隠しされています。

こちらが餌にされる可愛そうな黒ウサギ。このために飼われていたもので、まったく逃げようともしません。

鷹は4,5キロ先から獲物が見え、動いているものほどよく見えるそうですが、今日はほんの20-30メートル先のおとなしいウサギを狙います。目隠しを取られると、まっすぐにウサギめがけて飛んでいきました。あれ、思ったより滅茶苦茶低空飛行です。

重さ5,6キロあると思われる体で鷲掴みにし、しばらくしてからそのまま食べ始めます。
ウサギが暴れて砂煙が舞います。かなり血生臭くて、気持のいいものではありません。でも、11月から鷹たちは狐や狼の狩りに使われるのだそうで、訓練のためにも必要なのでしょうね。

鷹も普段は檻で飼われているそうで、鷹匠に懐いています。腕の上でもぎ取った頭を食べ続けます。毛ごと食べて、消化できないものは明日吐くんだそうです。あまりにえぐいシーンで皆すっかりトーンダウン、楽しい観光じゃないことは確かです。大自然の中でならまだしも、寂れた郊外の空き地で見るものじゃないですね・・・。

ちなみに、鷹を腕に乗せて写真を撮るのは100ソムでしたが、狩りを見物した後じゃ誰もそんな気分にはなれなかったようです。
17:45 峠の道端、路肩でバスを止めます。この前に行きにも利用したドライブインでトイレ休憩したばかりですが、どうしたのでしょう。

峠にはモニュメントもあり、遥か眼下には川も流れているようです。日が陰ってきたので、急激に風が冷たくなってきました。

道端にはユルタがあります。お土産屋みたいなところみたいです。
今日お昼に出すはずだった馬乳酒が手に入らず困っていて、夕飯時に代わりにビールなどをつけますということでしたが、ここで手に入るかもと立ち寄ったそうです。そういうお店だったらしく、馬乳酒を買えたので、夕食時に試飲して下さいということでした。

ユルタの中に入ってみましたが、他に何を売っているでもありませんでした。もう観光シーズン終わってますしね。で、天井を見上げると、あ、なるほど、キルギス国旗の真ん中部分、こんな感じだったなと思い返します。

さて、再びバス移動です。途中で快適な道路を外れ、どこに連れて行くんだろうと思うような山道を抜けていきます。車窓はどこを向いても山、動くものは動物ばかり、が続きます。

18:30 Arr HTL
チョン・ケミン地区という所にあるアッシュゲストハウス(ASHU GEUSTHOUSE)に到着しました。周囲はど田舎の村で、このゲストハウスもよく言って高原地域にあるペンション風といった感じです。すぐに暗くなり、ホテルの前を羊とかが単独で歩いていたりするような村です。

すごい所ですが、Free Wi-Fi(ID/PWなし)付きでした。さっそく暴動とやらの情報を検索します。やっと見つけた英語の情報はタス通信のサイトだけで、全部読む限り暴動とは大げさな表現ではないかと思いました。原因がはっきりしていて鉱山開発に関するデモで、武器を使ったのは治安部隊の方、催涙ガスなどの殺傷能力のないものでした。それもデモの首謀者たちは前夜のうちに捕まって移送されたと・・・。
過剰な対応だったのではと旅行会社に対する不振が募ります。現地ガイドも反政府側の政治活動しているような人だし、いくら日本語が流暢でガイドとしても経験豊富といっても、大げさに煽って、さも安全を確保してあげたみたいな言い方が鼻に付き、とても有難がる気にはなれません。
しかしびっくりしたことにツアー参加者の一部は今日行く予定の所がどんな所だったか知りもせず、行程変更を何とも思っていない人がいたことです。ドゥンガンの文化とか、木造のロシア教会とか、有名な探険家のお墓とか、渓谷や盆地以外も行く予定だったんですよ、と言うと、へーそうなの、とこういう有様でした。旅行の目的はいろいろだと悟りました。
後日分かったことですが、現地の実情がどうあれ旅行会社が安全確保を理由にすれば、行程変更や観光を割愛しても旅程保障する必要がないということです。ツアー旅行の約款には、地震や戦争などみたいな書き方で、本当に差し迫った命の危険がある場合などに見える文章ですが、怪我するかもと思っただけで大幅に変更しても保障の義務はないのが実情だそうです。しかも、それだけの変更をしておいて、宿泊地が変更になったことなどを緊急連絡先に知らせていないし、何か起こった際の対応は大手と違いが大きいと実感しました。何かあったら判断は全て旅行社に従うしかない、お金が返ってくるどころか出費もありえるというツアーのリスクを目の当たりにしました。
19:00 ゲストハウスのレストランで夕食です。
肉の入ったピラフみたいなご飯とサラダ、食後にスポンジケーキ、のみの素朴な内容です。急遽泊めることになったので、材料もなかったのでしょうけど、ツアーの食事がこんなだったのは初めてです。

で、こちらが峠で入手した馬乳酒。もうこの国に二度と来ることはないだろうとこの時点で思っていたので、思い切って一口試してみることにしました。スモークチーズとヨーグルトの合わさったような感じの味わいで、決しておいしいものではありませんでした。

明日の出発は10:00というので、こんな何もない所ではどうしようもないので、せめて9:00にと皆で申し入れしました。
次回はこのチョン・ケミンがどんな所かレポートします♪