ホンジュラス・コパン遺跡アクロポリス東広場
2013/04/06(6日目) 続き
まだまだコパン遺跡見学は続きます。かなり暑いですが、旅の初日の蒸し暑さを思えばまだ耐えられるという気温です。
アクロポリスと呼ばれる区域の南端を神殿16を回りこむ形で歩きます。するとさらに南側、一段下がったところにたくさんの構造物が見えました。エル・セメンテリオと呼ばれる場所です。墓地という意味だそうですが、墓だけでなく王侯貴族の住居があった場所です。一般の観光客は訪れることもなく、静かなひっそりとした空気が流れていました。

次の見学場所は神殿16の東側にある神殿18です。ここは王朝の末期、最後の16代王ヤシュ・パサフが神殿16の完成後に建てた唯一の建造物と思われています。比較的小さな神殿ですが、見学用に造られた階段を屋根に保護されたてっぺんまで上ります。

その階段の途中に、16代王ヤシュ・パサフのお墓があります。地下へと降りる数段の階段から中を覗いてみましたが、内部の空間は大きめで、ただ墓があっただけでなく地下トンネルなどもあったみたいです。

神殿18の上には崩れた建物があり、無理やりのようにつなぎ合わされた石には、王の像や碑文が刻まれているということですが、未完成のパズルのようで、素人目にはなんだかさっぱりわかりませんでした。

神殿18の上からは、先ほど見てきた神殿16の裏側が見えます。裏側はまったく修復されておらず、おそらく発見時に近い状態です。巨大な神殿には木が生い茂り、注意していなければのみ込まれてしまいそうです。

神殿18の上付近からはもうひとつ素晴らしい眺めを楽しめます。コパン遺跡を囲む景色です。遺跡の東側にはコパン川があり、川は見えないくらい切り立った崖の下ですが、対岸の自然の景色を眺めることができます。暑さを忘れるくらい爽快な景色です。

神殿18から続く構造物17の端まで来ると、東広場の南東の角にでます。広場をいくつかの構造物が連なって囲んでいるので、ちょっと大きめの空のプールのようです。コパン遺跡にいる観光客のほとんどがここに集まっているという感じでにぎわっていました。対角線上に見える屋根付きの建物は、ポポル・ナフ(会議場)、最盛期以降エリート達の合議で政治が行われた場所です。なお、写真右手前はコパン川に面した絶壁になっています。

東広場に下りて、しばし木陰で腰を休めます。それでなくても怪我人で傷が痛むのに、この上常連である熱中症患者になるわけにはいきません。遺跡に対する興味が勝っているようで、思っていたより体調がいいのは自分でも驚きました。上り下りには辛い段差の石に腰掛けてガイドの話を聞きながらあちこち目だけ向けます。奥に見えるのは神殿16、ロサリラ神殿見学のトンネルの入り口はこちらが正しい入り口のようです。

腰掛けていた石のすぐ上には踊るジャガーと呼ばれる彫り物があります。ジャガーというよりはクマに見ますが、近くに2つほどありました。この東広場でも生贄などの儀式が行われたようです。

ゆっくり休んだ後、ポポル・ナフ(会議場)、とその右の、最盛期18ウサギ王の雨の神チャックの神殿22へと向かいます。石段をまた這い上がるので体力を使います。写真は神殿前の階段ですが、階段にもマヤ文字が刻まれています。保護されていないこともあり、うっすら過ぎて何が描いてあるのかさっぱりわかりません。

ポポル・ナフと最初に見学した神殿11の裏あたりが繋がっていて、実はアクロポリスは、多くの建造物がくっついているおもしろい複雑な構造であるがわかりました。増築されていったイメージでしょう。そして、ここから北側にはグラン・プラサ(大広場)を見下ろすことができます。球戯場や神聖文字の階段の神殿26(テントに覆われた部分、アクロポリスの一部)が見えます。

眼下には神殿11の裏側にあたる斜面が壁のように見えます。ここにも大きな木が何本も生えていて、何かあれば崩れそうに見えます。下のステラ(石碑)とアルター(祭壇)がとても小さく見えます。アクアポリス全体が高さ37メートルの高台にあるのです。

アクロポリスからグラン・プラサを見下ろせる場所には、当時の再現図がおいてありました。
こんな高台から王は球戯の様子を見ていたのでしょうか。かなり距離がありますね。

神殿11の北西にある斜度のある階段を下りて、さっき見下ろしたところまで下りてきました。
上から見えていたステラN、第15代カク・イップ王の立像です。小さく見えるかも知れませんが、人の背丈の2倍以上ある大きな石碑です。見事な彫刻です。

次回はコパン遺跡最終回、神聖文字の階段とグラン・プラサをレポートします♪
まだまだコパン遺跡見学は続きます。かなり暑いですが、旅の初日の蒸し暑さを思えばまだ耐えられるという気温です。
アクロポリスと呼ばれる区域の南端を神殿16を回りこむ形で歩きます。するとさらに南側、一段下がったところにたくさんの構造物が見えました。エル・セメンテリオと呼ばれる場所です。墓地という意味だそうですが、墓だけでなく王侯貴族の住居があった場所です。一般の観光客は訪れることもなく、静かなひっそりとした空気が流れていました。

次の見学場所は神殿16の東側にある神殿18です。ここは王朝の末期、最後の16代王ヤシュ・パサフが神殿16の完成後に建てた唯一の建造物と思われています。比較的小さな神殿ですが、見学用に造られた階段を屋根に保護されたてっぺんまで上ります。

その階段の途中に、16代王ヤシュ・パサフのお墓があります。地下へと降りる数段の階段から中を覗いてみましたが、内部の空間は大きめで、ただ墓があっただけでなく地下トンネルなどもあったみたいです。

神殿18の上には崩れた建物があり、無理やりのようにつなぎ合わされた石には、王の像や碑文が刻まれているということですが、未完成のパズルのようで、素人目にはなんだかさっぱりわかりませんでした。

神殿18の上からは、先ほど見てきた神殿16の裏側が見えます。裏側はまったく修復されておらず、おそらく発見時に近い状態です。巨大な神殿には木が生い茂り、注意していなければのみ込まれてしまいそうです。

神殿18の上付近からはもうひとつ素晴らしい眺めを楽しめます。コパン遺跡を囲む景色です。遺跡の東側にはコパン川があり、川は見えないくらい切り立った崖の下ですが、対岸の自然の景色を眺めることができます。暑さを忘れるくらい爽快な景色です。

神殿18から続く構造物17の端まで来ると、東広場の南東の角にでます。広場をいくつかの構造物が連なって囲んでいるので、ちょっと大きめの空のプールのようです。コパン遺跡にいる観光客のほとんどがここに集まっているという感じでにぎわっていました。対角線上に見える屋根付きの建物は、ポポル・ナフ(会議場)、最盛期以降エリート達の合議で政治が行われた場所です。なお、写真右手前はコパン川に面した絶壁になっています。

東広場に下りて、しばし木陰で腰を休めます。それでなくても怪我人で傷が痛むのに、この上常連である熱中症患者になるわけにはいきません。遺跡に対する興味が勝っているようで、思っていたより体調がいいのは自分でも驚きました。上り下りには辛い段差の石に腰掛けてガイドの話を聞きながらあちこち目だけ向けます。奥に見えるのは神殿16、ロサリラ神殿見学のトンネルの入り口はこちらが正しい入り口のようです。

腰掛けていた石のすぐ上には踊るジャガーと呼ばれる彫り物があります。ジャガーというよりはクマに見ますが、近くに2つほどありました。この東広場でも生贄などの儀式が行われたようです。

ゆっくり休んだ後、ポポル・ナフ(会議場)、とその右の、最盛期18ウサギ王の雨の神チャックの神殿22へと向かいます。石段をまた這い上がるので体力を使います。写真は神殿前の階段ですが、階段にもマヤ文字が刻まれています。保護されていないこともあり、うっすら過ぎて何が描いてあるのかさっぱりわかりません。

ポポル・ナフと最初に見学した神殿11の裏あたりが繋がっていて、実はアクロポリスは、多くの建造物がくっついているおもしろい複雑な構造であるがわかりました。増築されていったイメージでしょう。そして、ここから北側にはグラン・プラサ(大広場)を見下ろすことができます。球戯場や神聖文字の階段の神殿26(テントに覆われた部分、アクロポリスの一部)が見えます。

眼下には神殿11の裏側にあたる斜面が壁のように見えます。ここにも大きな木が何本も生えていて、何かあれば崩れそうに見えます。下のステラ(石碑)とアルター(祭壇)がとても小さく見えます。アクアポリス全体が高さ37メートルの高台にあるのです。

アクロポリスからグラン・プラサを見下ろせる場所には、当時の再現図がおいてありました。
こんな高台から王は球戯の様子を見ていたのでしょうか。かなり距離がありますね。

神殿11の北西にある斜度のある階段を下りて、さっき見下ろしたところまで下りてきました。
上から見えていたステラN、第15代カク・イップ王の立像です。小さく見えるかも知れませんが、人の背丈の2倍以上ある大きな石碑です。見事な彫刻です。

次回はコパン遺跡最終回、神聖文字の階段とグラン・プラサをレポートします♪