アクシデント発生!痛過ぎるアンティグアの思い出
2013/04/05 (5日目) 続き
集合時間の16:00まであと3分ちょっと。見積もりでは中央広場まで4分。微妙に足りない。しかし、今回のツアーはこと時間に関して緩く、かつてないほど時計を気にすることがないので、1,2分遅れてもたぶん何の問題もない。だから最後の30メートル、ちょっと走って誠意を見せればいいんじゃない?そんな考えが頭をよぎりました。
けれど旅ともさんは既に走り出していました。そんなに急がなくても最後走ろうよ、と声をかけ始めたけど聞こえそうに無い。サンタ・クララ修道院の前の道は、交通量がありました。狭い舗装された歩道は人を追い越せる幅はなく、旅ともさんとの間に距離ができてしまいました。
歩道のさらに内側にある道のような石畳はすいていたので、そこを走り抜けようとしました。その瞬間・・・。ボコボコの石畳に足を取られました。この日、石畳の町を歩くことがわかっていたので、トレッキングシューズのようなものを履いていましたが足は疲れていたようです。
それはあっという間の出来事だったと思います。でも私にはスローモーションのようにコマ送りに感じました。やばい、そう思ってから体勢を立て直せると最初は思いましたが、走り始めというのもあって勢いがついていました。そう、三段跳びのホップステップ状態でした。
思ったより体が重い、ダメだ、そうわかって、被害を最小限に抑えることに頭を切り替えました。瞬間の出来事が本当にゆっくりに感じられるほど頭ではいろんな計算をしたんです。手に持っていたデジカメを諦め放り出しました。ただ、体が反応するのは少し遅かったようです。
自分でもびっくりするくらいの凄い悲鳴と共に、私は石畳にダイブしました。カメラを投げ出すのが一瞬遅かったため、うまく手をつけず、左半身側から石畳に倒れこみました。
激痛が走り私のスローモーションだった時間がぴたりと止まりました。
しばらく動けませんでしたが、頭から落ちたようで、額を押さえると自分の手が血に染まり恐怖を覚えました。自分がどうなっているのかわからないけれど、全身激痛がします。悲鳴に驚いた周囲の人々が集まってきました。
居合わせた現地の人たちが、私が投げ出したカメラやサングラスなどを拾ってくれ、私を助け起こそうとしてくれます。やっとのことで上体を起こした私にティッシュなど役に立ちそうなものを差し出し、中には消毒薬らしきものを塗ろうとしてくれる人までいました。
旅ともさんが戻ってきてくれ、応急手当をしてくれます。現地の人たちはとても親切でしたが治安のよくない国なので、私は少し警戒していたのでほっとしました。恥ずかしさと痛さとで転んだ瞬間のときのようには頭は回りませんでした。
やっと起き上がると、パンツの左膝の部分がやぶれ、膝にも怪我をしています。後は、変な体制で手をついてしまったため左手にとにかく激痛がします。後はどこがどう痛いかわかりません。膝から下には何の問題もなかったため、幸いにも歩けることがわかりました。
こちらがその事故現場です。サンタ・クララ修道院前にある共同洗濯場です。左手写真外に歩道と車道があり、右側の穴が洗濯をする洗濯層です。ここは普段使われているかどうかわかりませんが、グアテマラでは今でもこのような公共の洗濯場で洗濯をする習慣があるようです。

歩けることがわかったので、広場に向けてゆっくり移動を始めました。旅ともさんには先にいってもらって、添乗員さんに事情を説明してもらいます。ちょっと遅れてもいいんじゃないなんて思ったバチが当たったのだ、そしてそろそろ自分も体を過信してはいけないと思い知らされました。
広場に到着するとツアーの人たちはもちろん、広場にいた大勢の観光客や現地人が何事かと私を取り囲みました。その時は大丈夫、OKと反射的に答えていました。あまり見かけない東洋人旅行者の可愛そうな姿に皆目を引いたようです。
左手の痛みが酷く、指を曲げることはできません。恐る恐る顔を確認すると、目の脇が2cm弱ほど切れていました。後はひどい打撲があちこちあるようです。自分の体重をうらめしく思いました。そして、諦めて投げ出したデジカメ、何の被害もないことがわかりました。この防水カメラ、耐衝撃1.5mなのです。水中撮影用に買いましたが、衝撃にも強く、起動が早いので水辺以外でも重宝ですね。
私の応急処置が落ち着いたところで、バスに乗るため中央広場を離れます。そして何と、あの事故現場の前でバスと待ち合わせでした。さっき現場にいた人たちがもういないことを願ってうつむいたまま16:20、バスに乗り込みました。駅の階段から落ちたような恥ずかしさでした。
私の中ではもう観光どころじゃない、という気持でしたが、アンティグアでまだもう一ヶ所観光が残っています。移動途中窓の外を見ると、崩れたままの建物の脇にある広場で、車椅子バスケをしている場面を見かけました。酷い目にあったと思いましたが、大したことない、と自分に言い聞かせることができました。

16:35 十字架の丘と呼ばれるアンティグアの北にある丘に到着です。バスを降りて展望スポットまで歩きます。大丈夫?とグループの奥様が私の肩に手を置きましたが、そのとき激痛が走りました。左肩を見ると、既に酷いアザができ始めていました。この頃、痛みが段々増してきていて、皆の大丈夫?にもはや大丈夫とは答えられない状況でした。でも歩けるので、皆の後ろをトボトボと遅れてついていきます。

ここが十字架の丘です。すごい眺めです。歩き回ったアンティグアの町が一望できます。ちなみにアンティグアの歴史地区は世界遺産登録されています。自分の怪我の程度がまだわかりかねる状態だったので、大したことありませんようにと密かにお祈りしました。

碁盤の目に整備されたアンティグアの町の背後にあるのは、アグア火山です。地震の元凶である火山ですが、とても富士山に似た美しい山です。山頂は雲に隠れてしまっていますが、本当に素敵な眺めです。痛すぎる思い出と共に私の記憶に残る風景になるでしょう。

17:00 アンティグアを後にし、グアテマラシティへ戻ります。
18:15 ホテルへ帰る前にグアテマラシティのYI-HOUという中華レストランで夕食です。正直、痛みで食事どころじゃありませんが、食べないのも周囲を心配させるのでほどほどに頂きます。

こういう時、中華のような取り分けは便利です。もう味は覚えていません。当分アルコールは無理でしょう。すっきりする飲み物だけが楽しみになるでしょう。

19:30 グアテマラシティのグランド・ティカル・フトゥーラに戻ってきました。病院へ行くという選択肢もありましたが、グアテマラの医療事情はいいとは言えないだろうし、重傷ではないと判断し、インターネットで対処法を調べ、とにかく打ち身を冷やすことにしました。幸い、ホテルには製氷機があり、旅ともさんがロキソニン湿布薬を持っていたので特に顔と左手を一晩中冷やしました。冷たさと痛さで一睡もできませんでした。
ホテルの大きな鏡で顔を見ると、試合直後のボクシング選手のようでした・・・。もしくはお岩さんのイメージそのものでした。今後のいい薬になる衝撃的な風貌でした。
次回はホンジュラスのコパン・ルイナスをレポートの予定です♪
集合時間の16:00まであと3分ちょっと。見積もりでは中央広場まで4分。微妙に足りない。しかし、今回のツアーはこと時間に関して緩く、かつてないほど時計を気にすることがないので、1,2分遅れてもたぶん何の問題もない。だから最後の30メートル、ちょっと走って誠意を見せればいいんじゃない?そんな考えが頭をよぎりました。
けれど旅ともさんは既に走り出していました。そんなに急がなくても最後走ろうよ、と声をかけ始めたけど聞こえそうに無い。サンタ・クララ修道院の前の道は、交通量がありました。狭い舗装された歩道は人を追い越せる幅はなく、旅ともさんとの間に距離ができてしまいました。
歩道のさらに内側にある道のような石畳はすいていたので、そこを走り抜けようとしました。その瞬間・・・。ボコボコの石畳に足を取られました。この日、石畳の町を歩くことがわかっていたので、トレッキングシューズのようなものを履いていましたが足は疲れていたようです。
それはあっという間の出来事だったと思います。でも私にはスローモーションのようにコマ送りに感じました。やばい、そう思ってから体勢を立て直せると最初は思いましたが、走り始めというのもあって勢いがついていました。そう、三段跳びのホップステップ状態でした。
思ったより体が重い、ダメだ、そうわかって、被害を最小限に抑えることに頭を切り替えました。瞬間の出来事が本当にゆっくりに感じられるほど頭ではいろんな計算をしたんです。手に持っていたデジカメを諦め放り出しました。ただ、体が反応するのは少し遅かったようです。
自分でもびっくりするくらいの凄い悲鳴と共に、私は石畳にダイブしました。カメラを投げ出すのが一瞬遅かったため、うまく手をつけず、左半身側から石畳に倒れこみました。
激痛が走り私のスローモーションだった時間がぴたりと止まりました。
しばらく動けませんでしたが、頭から落ちたようで、額を押さえると自分の手が血に染まり恐怖を覚えました。自分がどうなっているのかわからないけれど、全身激痛がします。悲鳴に驚いた周囲の人々が集まってきました。
居合わせた現地の人たちが、私が投げ出したカメラやサングラスなどを拾ってくれ、私を助け起こそうとしてくれます。やっとのことで上体を起こした私にティッシュなど役に立ちそうなものを差し出し、中には消毒薬らしきものを塗ろうとしてくれる人までいました。
旅ともさんが戻ってきてくれ、応急手当をしてくれます。現地の人たちはとても親切でしたが治安のよくない国なので、私は少し警戒していたのでほっとしました。恥ずかしさと痛さとで転んだ瞬間のときのようには頭は回りませんでした。
やっと起き上がると、パンツの左膝の部分がやぶれ、膝にも怪我をしています。後は、変な体制で手をついてしまったため左手にとにかく激痛がします。後はどこがどう痛いかわかりません。膝から下には何の問題もなかったため、幸いにも歩けることがわかりました。
こちらがその事故現場です。サンタ・クララ修道院前にある共同洗濯場です。左手写真外に歩道と車道があり、右側の穴が洗濯をする洗濯層です。ここは普段使われているかどうかわかりませんが、グアテマラでは今でもこのような公共の洗濯場で洗濯をする習慣があるようです。

歩けることがわかったので、広場に向けてゆっくり移動を始めました。旅ともさんには先にいってもらって、添乗員さんに事情を説明してもらいます。ちょっと遅れてもいいんじゃないなんて思ったバチが当たったのだ、そしてそろそろ自分も体を過信してはいけないと思い知らされました。
広場に到着するとツアーの人たちはもちろん、広場にいた大勢の観光客や現地人が何事かと私を取り囲みました。その時は大丈夫、OKと反射的に答えていました。あまり見かけない東洋人旅行者の可愛そうな姿に皆目を引いたようです。
左手の痛みが酷く、指を曲げることはできません。恐る恐る顔を確認すると、目の脇が2cm弱ほど切れていました。後はひどい打撲があちこちあるようです。自分の体重をうらめしく思いました。そして、諦めて投げ出したデジカメ、何の被害もないことがわかりました。この防水カメラ、耐衝撃1.5mなのです。水中撮影用に買いましたが、衝撃にも強く、起動が早いので水辺以外でも重宝ですね。
私の応急処置が落ち着いたところで、バスに乗るため中央広場を離れます。そして何と、あの事故現場の前でバスと待ち合わせでした。さっき現場にいた人たちがもういないことを願ってうつむいたまま16:20、バスに乗り込みました。駅の階段から落ちたような恥ずかしさでした。
私の中ではもう観光どころじゃない、という気持でしたが、アンティグアでまだもう一ヶ所観光が残っています。移動途中窓の外を見ると、崩れたままの建物の脇にある広場で、車椅子バスケをしている場面を見かけました。酷い目にあったと思いましたが、大したことない、と自分に言い聞かせることができました。

16:35 十字架の丘と呼ばれるアンティグアの北にある丘に到着です。バスを降りて展望スポットまで歩きます。大丈夫?とグループの奥様が私の肩に手を置きましたが、そのとき激痛が走りました。左肩を見ると、既に酷いアザができ始めていました。この頃、痛みが段々増してきていて、皆の大丈夫?にもはや大丈夫とは答えられない状況でした。でも歩けるので、皆の後ろをトボトボと遅れてついていきます。

ここが十字架の丘です。すごい眺めです。歩き回ったアンティグアの町が一望できます。ちなみにアンティグアの歴史地区は世界遺産登録されています。自分の怪我の程度がまだわかりかねる状態だったので、大したことありませんようにと密かにお祈りしました。

碁盤の目に整備されたアンティグアの町の背後にあるのは、アグア火山です。地震の元凶である火山ですが、とても富士山に似た美しい山です。山頂は雲に隠れてしまっていますが、本当に素敵な眺めです。痛すぎる思い出と共に私の記憶に残る風景になるでしょう。

17:00 アンティグアを後にし、グアテマラシティへ戻ります。
18:15 ホテルへ帰る前にグアテマラシティのYI-HOUという中華レストランで夕食です。正直、痛みで食事どころじゃありませんが、食べないのも周囲を心配させるのでほどほどに頂きます。

こういう時、中華のような取り分けは便利です。もう味は覚えていません。当分アルコールは無理でしょう。すっきりする飲み物だけが楽しみになるでしょう。

19:30 グアテマラシティのグランド・ティカル・フトゥーラに戻ってきました。病院へ行くという選択肢もありましたが、グアテマラの医療事情はいいとは言えないだろうし、重傷ではないと判断し、インターネットで対処法を調べ、とにかく打ち身を冷やすことにしました。幸い、ホテルには製氷機があり、旅ともさんがロキソニン湿布薬を持っていたので特に顔と左手を一晩中冷やしました。冷たさと痛さで一睡もできませんでした。
ホテルの大きな鏡で顔を見ると、試合直後のボクシング選手のようでした・・・。もしくはお岩さんのイメージそのものでした。今後のいい薬になる衝撃的な風貌でした。
次回はホンジュラスのコパン・ルイナスをレポートの予定です♪