はじめての海外旅行⑪(オーストリア・ザルツブルク~ドイツ・フュッセン)
2022年も旅レポートをよろしくお願いします♪
1993/02/18 (11日目)
7:30 ウィーンのホテルを出発です。なんと11日目にして初めて貸し切り観光バスでの移動です。ここまではずっと飛行機か列車でした。
『バスでの移動は結構眠れる。外の景色はすっかり雪景色。寒さが窓から伝わってくる。』
※『』は当時の日記より転載
(2012年)

12:00 ザルツブルク到着です。おそらく当時から旧市街に直接バスで入れなかったでしょうから新市街でバスを降りたと思います。普通はミラベル庭園から観光スタートですが、当時はどうだったでしょうか。
(2017年)

そして、モーツァルトの家の前も通ったと思います。
(2015年)

マカルト橋を渡り旧市街に向かうのが一般的なルートですが、当時はこの橋があったとしても南京錠はなかったと思います。愛の南京錠がヨーロッパで流行りだしたのは2000年前後からと言われています。
(2017年)

この橋のあたりからのホーエンザルツブルク城が見えるこの景色が、街の代表的なイメージとして記憶にあったので、当時から橋はありここを渡って旧市街へ行ったのだと思います。
(2015年)

旧市街一帯です。この辺りでランチ含めてフリータイムだったのではと想像します。
(2015年)

ランチはウィンナーとパン、27シリング。
ゲトライデ通り周辺で過ごしたと思います。
(2017年)

きっとモーツァルト生家前で写真も撮ったことでしょう。この頃の写真は、自分がそこへ行った記念・証拠のようなものだったので、今と逆で、自分が映らない写真は撮らなかったと思います。
(2015年)

教会なども見て周ったようで献金などのメモがありました。
ザルツブルク大聖堂など見学したのでしょう。
(2018年)

この街で、残ったオーストリアシリング現金消費のためか、お菓子など結構買い込んでいました。
Fürst(フュルスト)にも立ち寄ったでしょうか。
(2015年)

モーツァルトクーゲルンのオリジナルのお店です。当時はオリジナルとか拘りをもっていたかどうか怪しいので、普通に赤いやつをお土産屋で買ったかも知れません。
(2018年)

14:30 ザルツブルクをバスで出発です。
15:15 ドイツに入国します。
『国境はあっけないくらい簡単に通れてしまう。なんとパスポートも見せない。』
EUとかシェンゲン協定のない時代、陸路での国境通過はそこそこ大変でした。
パスポートも見せないと、スタンプも押してもらえなくて、ちょっぴり残念な気がしたのを覚えています。
『両替に失敗。国境を逃したらチャンスがなく夕食代は添乗員さんに借りることに・・・。』
国境に必ずある両替所、レートが良くなかったのか、とても混んでいたのか、理由は定かではありませんが、次の機会でいいや、ホテルでも、と思ったのかも知れません。ここまでは両替に困ることもなかったですから油断したのでしょう。
18:00 フュッセンに到着。
(2015年)

『ホテルはペンションの一回り大きい風。ベランダが付いている。』
SCHWANSTEINというホテルで、現在も同名のホテルがあるようですが、住所電話番号が微妙に違うので現存するか不明です。
夕食はホテルのレストランにて。
ウィンナー、ポテトサラダ、サラダ、にパンで15マルク。
2食続けてウィンナー。それに関する突っ込みはなし。感想もなし。そもそも食に対して当時は(から?)あまり期待していないようです。
(2011年)

疲れが溜まっていたせいなのか、この日は日記に観光箇所すら書き留めていません。例の「もう帰る!」ブチ切れ事件が起きたのはこの日だったかも知れません・・・。
次回は12日目を紹介します♪
1993/02/18 (11日目)
7:30 ウィーンのホテルを出発です。なんと11日目にして初めて貸し切り観光バスでの移動です。ここまではずっと飛行機か列車でした。
『バスでの移動は結構眠れる。外の景色はすっかり雪景色。寒さが窓から伝わってくる。』
※『』は当時の日記より転載
(2012年)

12:00 ザルツブルク到着です。おそらく当時から旧市街に直接バスで入れなかったでしょうから新市街でバスを降りたと思います。普通はミラベル庭園から観光スタートですが、当時はどうだったでしょうか。
(2017年)

そして、モーツァルトの家の前も通ったと思います。
(2015年)

マカルト橋を渡り旧市街に向かうのが一般的なルートですが、当時はこの橋があったとしても南京錠はなかったと思います。愛の南京錠がヨーロッパで流行りだしたのは2000年前後からと言われています。
(2017年)

この橋のあたりからのホーエンザルツブルク城が見えるこの景色が、街の代表的なイメージとして記憶にあったので、当時から橋はありここを渡って旧市街へ行ったのだと思います。
(2015年)

旧市街一帯です。この辺りでランチ含めてフリータイムだったのではと想像します。
(2015年)

ランチはウィンナーとパン、27シリング。
ゲトライデ通り周辺で過ごしたと思います。
(2017年)

きっとモーツァルト生家前で写真も撮ったことでしょう。この頃の写真は、自分がそこへ行った記念・証拠のようなものだったので、今と逆で、自分が映らない写真は撮らなかったと思います。
(2015年)

教会なども見て周ったようで献金などのメモがありました。
ザルツブルク大聖堂など見学したのでしょう。
(2018年)

この街で、残ったオーストリアシリング現金消費のためか、お菓子など結構買い込んでいました。
Fürst(フュルスト)にも立ち寄ったでしょうか。
(2015年)

モーツァルトクーゲルンのオリジナルのお店です。当時はオリジナルとか拘りをもっていたかどうか怪しいので、普通に赤いやつをお土産屋で買ったかも知れません。
(2018年)

14:30 ザルツブルクをバスで出発です。
15:15 ドイツに入国します。
『国境はあっけないくらい簡単に通れてしまう。なんとパスポートも見せない。』
EUとかシェンゲン協定のない時代、陸路での国境通過はそこそこ大変でした。
パスポートも見せないと、スタンプも押してもらえなくて、ちょっぴり残念な気がしたのを覚えています。
『両替に失敗。国境を逃したらチャンスがなく夕食代は添乗員さんに借りることに・・・。』
国境に必ずある両替所、レートが良くなかったのか、とても混んでいたのか、理由は定かではありませんが、次の機会でいいや、ホテルでも、と思ったのかも知れません。ここまでは両替に困ることもなかったですから油断したのでしょう。
18:00 フュッセンに到着。
(2015年)

『ホテルはペンションの一回り大きい風。ベランダが付いている。』
SCHWANSTEINというホテルで、現在も同名のホテルがあるようですが、住所電話番号が微妙に違うので現存するか不明です。
夕食はホテルのレストランにて。
ウィンナー、ポテトサラダ、サラダ、にパンで15マルク。
2食続けてウィンナー。それに関する突っ込みはなし。感想もなし。そもそも食に対して当時は(から?)あまり期待していないようです。
(2011年)

疲れが溜まっていたせいなのか、この日は日記に観光箇所すら書き留めていません。例の「もう帰る!」ブチ切れ事件が起きたのはこの日だったかも知れません・・・。
次回は12日目を紹介します♪