スリランカ・シギリヤロック(ライオンの入口~王宮跡)
2017/09/10 (3日目) 続き
9:22 ついにライオンの入口からシギリヤロックの頂上へと続く階段を登り始めます。
私がテレビで見たことがあるハシゴのような階段ではなくがっしりとした造りではあるものの、とても急で、恐怖の階段であることには変わりません。見上げると、クラクラしてしまいます。カメラをしまい、両手を空け、軍手をして覚悟を決めます。岩壁の中央左に見えるのはハチ除けのカバーです。

ハチも気になります。ズームで確認すると巨大なハチの巣がいくつもあり、これでもかとびっしりとハチがくっついているようです。今は活動が盛んではないのか、こちらに飛んでくる気はないようです。殺生をしないという考えから駆除はしないようです。

旅ともさんが以前に来た時はハチの活動が盛んで、防護服を着せられたと聞いていました。今はハチが活発な時期ではないようで、万一の時は、ライオン広場に造られた避難所に逃げ込むとだけ聞きました。広場の隅にある緑の所が避難所です。

さて、覚悟を決めて登り始めたのはいいのですが、やっぱり怖いものは怖いです。とにかく急だし、階段自体が怖くて仕方ないので、足が思うようには動きません。右側通行で、登りは外側なのですが、下りてくる人を避けつつも左側の手摺りにも捕まります。手に汗握ることになるので、やはり軍手は必需品でした。
怖くて手摺りから手を離せず、ずらしながらゆっくり上ると、いろんな人が励ましてくれます。急がなくていい頑張ってという感じです。まれに高所恐怖症仲間が下りてくると、すれ違う時はお互い手摺りを譲りたくない気持ちが分かり苦笑いです。全く余裕がない私は相手が譲ってくれるのを待つばかりです。この時間空いていたので自分のペースで上ることができました。
前半を過ぎると、岩場にはりつく階段になり上り下りが完全に分けられます。今度は上りは内側になり、少し気持ちが楽になりました。段差も低くなり、足元からは下が見えない状態です。高さがかなりあるので、後半の方が心配でしたが、むしろ前半が恐怖のピークだったようです。

ラスト頑張って上がると、鉄の階段が終わり、石の階段になり一安心、後はどっと疲れが出て体力的にしんどくなりますが、精神的な苦痛に比べればなんともない感じです。
9:32 ついに階段を登り切りました。先に到着していた現地係員と母娘が待っていてくれ、無事登頂出来たことを一緒に喜んでくれます。ふと見ると目の前にカメレオンがいました。私がカメラを出す間にオレンジぽくなってしまいましたが、最初は緑色でした。

頂上からの景色は壮大です。暑くて階段を上るのが大変だっというのもありますが、精神的負担が大きかったせいか、動悸がなかなか静まりません。持ってきたスポーツドリンクを飲み干してしまいそうになります。持ってくる量が足りなかったようです。

頂上は平なのかと思っていましたが、かなり斜度があるようです。上り口がある辺りが最も高くなっています。ここには王宮があったそうですが、今はその名残がわずかに残るだけです。

シギリヤロックの頂上からはどちらを向いてもほぼ緑一色、こちらの小山は、元々シギリヤロックにあった寺院が王宮が来ることになって移転した場所らしいです。

さて、頂上にある王宮の遺跡を半時計周りに周ります。広大な王宮跡は頂上の斜度に合わせて段々になっていますが、一番上にあるのが王の居室だった場所のようです。そんなに大きな建物ではなかったようです。

王宮から下界を見下ろします。歩いてきたウォーターガーデンの中央を貫く道が小さく見えます。人影に至ってはほとんど識別できません。この時間たくさんの観光客がこちらへ向かっているはずです。

王宮の構造物は元どんな建物があったのかは想像できませんが、とにかくレンガが大量に使われています。全て下から運んだのかと思うとすごい労力が必要だったろうと関心します。

さらに下層の方を見ると、王のプールと呼ばれる大きな貯水池が見えます。あそこまで行くらしい・・・ということはその後また登るのかとちょっと憂鬱な気がします。とにかく体力が必要な場所ですね。

頂上と言ってもかなりの斜度があり、この一連の王宮の建物群だけでも何階分もの上り下りが必要とは思っていなかったです。広いスペースは取れず、小さめの建物を岩山の上全体に配置したことがわかります。救いはこの景色ですね。

ここに5世紀に王宮を造ったカーシャパという王は、身分の低い母を持ったため、弟に王位を奪われることを恐れここに王宮を造りました。父王を殺し、その後悔や弟の復讐を恐れ、岩山の上に籠城するよう暮らしたようですが、結局は弟に敗れ自害します。その後、この王宮は僧に寄進され、一代限りで都としても王宮としても葬られることになりました。

狂った王として後世に語り継がれる王ですが、これだけの王宮を陸の孤島のような岩山に作った王、それなりに威厳はあったようですね。立派なプールです。古い階段の跡なども残っています。この辺りが、王宮の中で一番下の方にあります。この辺りから上の遺跡を見ると、まるでピラミッドのように見えます。

少し上がって、こちらは王の椅子です。玉座というか、王がくつろぐための椅子だったようです。目の前はダンスホールになっていて、踊る美女を眺めて現実逃避をしていたようです。

王の椅子の後ろ、よく見ると水路ができています。岩山の上なので、水の利用が絶妙に考えられていたようです。こうした水路を伝って王のプールにも水が溜められたのでしょうね。

次回はシギリヤロックの帰り道をレポートします♪
9:22 ついにライオンの入口からシギリヤロックの頂上へと続く階段を登り始めます。
私がテレビで見たことがあるハシゴのような階段ではなくがっしりとした造りではあるものの、とても急で、恐怖の階段であることには変わりません。見上げると、クラクラしてしまいます。カメラをしまい、両手を空け、軍手をして覚悟を決めます。岩壁の中央左に見えるのはハチ除けのカバーです。

ハチも気になります。ズームで確認すると巨大なハチの巣がいくつもあり、これでもかとびっしりとハチがくっついているようです。今は活動が盛んではないのか、こちらに飛んでくる気はないようです。殺生をしないという考えから駆除はしないようです。

旅ともさんが以前に来た時はハチの活動が盛んで、防護服を着せられたと聞いていました。今はハチが活発な時期ではないようで、万一の時は、ライオン広場に造られた避難所に逃げ込むとだけ聞きました。広場の隅にある緑の所が避難所です。

さて、覚悟を決めて登り始めたのはいいのですが、やっぱり怖いものは怖いです。とにかく急だし、階段自体が怖くて仕方ないので、足が思うようには動きません。右側通行で、登りは外側なのですが、下りてくる人を避けつつも左側の手摺りにも捕まります。手に汗握ることになるので、やはり軍手は必需品でした。
怖くて手摺りから手を離せず、ずらしながらゆっくり上ると、いろんな人が励ましてくれます。急がなくていい頑張ってという感じです。まれに高所恐怖症仲間が下りてくると、すれ違う時はお互い手摺りを譲りたくない気持ちが分かり苦笑いです。全く余裕がない私は相手が譲ってくれるのを待つばかりです。この時間空いていたので自分のペースで上ることができました。
前半を過ぎると、岩場にはりつく階段になり上り下りが完全に分けられます。今度は上りは内側になり、少し気持ちが楽になりました。段差も低くなり、足元からは下が見えない状態です。高さがかなりあるので、後半の方が心配でしたが、むしろ前半が恐怖のピークだったようです。

ラスト頑張って上がると、鉄の階段が終わり、石の階段になり一安心、後はどっと疲れが出て体力的にしんどくなりますが、精神的な苦痛に比べればなんともない感じです。
9:32 ついに階段を登り切りました。先に到着していた現地係員と母娘が待っていてくれ、無事登頂出来たことを一緒に喜んでくれます。ふと見ると目の前にカメレオンがいました。私がカメラを出す間にオレンジぽくなってしまいましたが、最初は緑色でした。

頂上からの景色は壮大です。暑くて階段を上るのが大変だっというのもありますが、精神的負担が大きかったせいか、動悸がなかなか静まりません。持ってきたスポーツドリンクを飲み干してしまいそうになります。持ってくる量が足りなかったようです。

頂上は平なのかと思っていましたが、かなり斜度があるようです。上り口がある辺りが最も高くなっています。ここには王宮があったそうですが、今はその名残がわずかに残るだけです。

シギリヤロックの頂上からはどちらを向いてもほぼ緑一色、こちらの小山は、元々シギリヤロックにあった寺院が王宮が来ることになって移転した場所らしいです。

さて、頂上にある王宮の遺跡を半時計周りに周ります。広大な王宮跡は頂上の斜度に合わせて段々になっていますが、一番上にあるのが王の居室だった場所のようです。そんなに大きな建物ではなかったようです。

王宮から下界を見下ろします。歩いてきたウォーターガーデンの中央を貫く道が小さく見えます。人影に至ってはほとんど識別できません。この時間たくさんの観光客がこちらへ向かっているはずです。

王宮の構造物は元どんな建物があったのかは想像できませんが、とにかくレンガが大量に使われています。全て下から運んだのかと思うとすごい労力が必要だったろうと関心します。

さらに下層の方を見ると、王のプールと呼ばれる大きな貯水池が見えます。あそこまで行くらしい・・・ということはその後また登るのかとちょっと憂鬱な気がします。とにかく体力が必要な場所ですね。

頂上と言ってもかなりの斜度があり、この一連の王宮の建物群だけでも何階分もの上り下りが必要とは思っていなかったです。広いスペースは取れず、小さめの建物を岩山の上全体に配置したことがわかります。救いはこの景色ですね。

ここに5世紀に王宮を造ったカーシャパという王は、身分の低い母を持ったため、弟に王位を奪われることを恐れここに王宮を造りました。父王を殺し、その後悔や弟の復讐を恐れ、岩山の上に籠城するよう暮らしたようですが、結局は弟に敗れ自害します。その後、この王宮は僧に寄進され、一代限りで都としても王宮としても葬られることになりました。

狂った王として後世に語り継がれる王ですが、これだけの王宮を陸の孤島のような岩山に作った王、それなりに威厳はあったようですね。立派なプールです。古い階段の跡なども残っています。この辺りが、王宮の中で一番下の方にあります。この辺りから上の遺跡を見ると、まるでピラミッドのように見えます。

少し上がって、こちらは王の椅子です。玉座というか、王がくつろぐための椅子だったようです。目の前はダンスホールになっていて、踊る美女を眺めて現実逃避をしていたようです。

王の椅子の後ろ、よく見ると水路ができています。岩山の上なので、水の利用が絶妙に考えられていたようです。こうした水路を伝って王のプールにも水が溜められたのでしょうね。

次回はシギリヤロックの帰り道をレポートします♪