ネパール・カトマンズ(ヒマラヤ蕎麦~ダルバール広場)
2014/12/2 (3日目) 続き
12:05 やっと空港を出発します。結局午前中観光には行けず、お昼も過ぎたのでまずはランチのレストランへと向かいます。車窓に見えるのは国会議事堂です。

12:20 ランチのお店ということでセキュリティの効いたプライベートエリアに入ります。後で調べたら、ホテル・サンセット・ビューというホテルの一角にある「ヒマラヤそば処」でした。日本人の奥さんがいる方の経営の店です。

まだ日本食が恋しいとは言えない段階ですが、ヒマラヤ蕎麦のランチです。戸隠で修業してきたとかで、日本の蕎麦とまったく同じです。蕎麦粉が現地ものということですね。偽物じゃない日本食という味と質です。

さて私は今日の予定が気になります。添乗員に観光と夕日鑑賞は予定通りできるのかと聞いたら、予定通り観光しても18:00頃ホテルに着く予定ですと言います。ここが旅程管理の腕の見せ所でしょう。いいでしょう挽回のチャンスをあげましょう、そんな気持ちでした。
13:00 店を出てダルバール広場へと向かいます。街中にはサッカー場も見えます。ナイター設備がありますが、きっと夜は使われることもないのでしょう。

13:15 ダルバール広場から徒歩10分くらいの川沿いでバスを降りてここから歩いて観光へ向かいます。バクマティ川の支流ビシュヌマティ川沿いだと思いますが、街の中心部に近いのに、生活レベルはかなり低そうです。

ダルバール広場まではあまり広くない道を1列になって歩きます。ここは女性の服の仕立て屋さんでしょうか。いつも思うのですが、女性の服を売る店が(しかも採寸して仕立てるだろうに)女性の店員を置かない国が多いのに驚きます。

道沿いには興味をそそるものがたくさんあります。
これは祠?なんだか遺跡の町みたいです。

こちらは見た目はお寺に見えます。寺院かどうかは別として現在はお店のようです。
お寺が大々的に商売しているのかもしれませんが・・・。

道沿いは商店も多く歩くだけで楽しい感じです。町並みも旧市街っぽい雰囲気で、建物に使われている色もカラフルだったりするのがちょっと意外です。

今度は小さなストゥーパ。でも誰にも敬意を払われていないように見えます。土台部分では誰かが商売しているし、こういう雑多な感じがカトマンズなのかもなと、思うようになりました。

ほんの数百メートル歩いただけでも、大小の寺院らしき建造物がそこかしこにあります。人より神々が多く住む町と言われたのも頷けます。過度の人口流入によって、神様達も窮屈そうではありますが、このまま追い出されずに頑張ってほしいものです。

さて、目の前にどーんと大きな寺院らしきものが出てきました。ダルバール広場に着いたようです。ダルバールとは宮廷という意味でカトマンズ王国の中心だった場所です。この広場には柵はありませんが外国人観光客は入場券(Rs.750、1000円弱)が必要で、出入りは自由ですが、中でときどきチェックがあるそうです。写真は、カスタマンダブ寺院、カトマンズの名前の由来となった寺院で、ネパール最古の建造物(12世紀頃)のひとつです。

人を掻き分け広場の中へ入っていくと寺院がいくつも並ぶ広場に出ます。ダルバール広場と名がついていますが、「広場」で想像する広い空間よりも建造物があちこちに建っているので、どこまでが広場なのかわかりにくい場所です。一番左はナラヤン寺院(17世紀)、白いお堂が付随しているのはシヴァ寺院(17世紀)、どの寺院も基壇などに人が腰かけています。

そして、広場の南、ナラヤン寺院すぐ隣には彫刻のきれいな立派な建物があります。クマリの館です。知っている人も多いと思いますが、クマリとは一言で言えばネパールの生きた女神です。そのクマリが住んでいる家ということになります。

クマリは、女神の依代として小さな幼女が選ばれます。ネパールはヒンドゥー教が8割で、そのヒンドゥーの女神も宿るというクマリですが、ネワール仏教徒の僧侶カーストの娘の中から、様々な選定条件を満たすものが候補として選ばれます。その候補の中から何事にも動じない子が選ばれるそうです。ダライラマに似た感じです。
選ばれたら家族と一緒に館に引っ越し、外に出るのは祭りの時だけ。初潮を迎えるまでその生活は続きます。何もわからないうちに連れてこられ、役目を終えれば普通の人になるとはいえ、その後も本当の意味で普通に暮らすのは難しいでしょう。
木彫りの窓枠の彫刻のひとつひとつがそれは美しい館です。

次回はダルバール広場の続きをレポートします♪
12:05 やっと空港を出発します。結局午前中観光には行けず、お昼も過ぎたのでまずはランチのレストランへと向かいます。車窓に見えるのは国会議事堂です。

12:20 ランチのお店ということでセキュリティの効いたプライベートエリアに入ります。後で調べたら、ホテル・サンセット・ビューというホテルの一角にある「ヒマラヤそば処」でした。日本人の奥さんがいる方の経営の店です。

まだ日本食が恋しいとは言えない段階ですが、ヒマラヤ蕎麦のランチです。戸隠で修業してきたとかで、日本の蕎麦とまったく同じです。蕎麦粉が現地ものということですね。偽物じゃない日本食という味と質です。

さて私は今日の予定が気になります。添乗員に観光と夕日鑑賞は予定通りできるのかと聞いたら、予定通り観光しても18:00頃ホテルに着く予定ですと言います。ここが旅程管理の腕の見せ所でしょう。いいでしょう挽回のチャンスをあげましょう、そんな気持ちでした。
13:00 店を出てダルバール広場へと向かいます。街中にはサッカー場も見えます。ナイター設備がありますが、きっと夜は使われることもないのでしょう。

13:15 ダルバール広場から徒歩10分くらいの川沿いでバスを降りてここから歩いて観光へ向かいます。バクマティ川の支流ビシュヌマティ川沿いだと思いますが、街の中心部に近いのに、生活レベルはかなり低そうです。

ダルバール広場まではあまり広くない道を1列になって歩きます。ここは女性の服の仕立て屋さんでしょうか。いつも思うのですが、女性の服を売る店が(しかも採寸して仕立てるだろうに)女性の店員を置かない国が多いのに驚きます。

道沿いには興味をそそるものがたくさんあります。
これは祠?なんだか遺跡の町みたいです。

こちらは見た目はお寺に見えます。寺院かどうかは別として現在はお店のようです。
お寺が大々的に商売しているのかもしれませんが・・・。

道沿いは商店も多く歩くだけで楽しい感じです。町並みも旧市街っぽい雰囲気で、建物に使われている色もカラフルだったりするのがちょっと意外です。

今度は小さなストゥーパ。でも誰にも敬意を払われていないように見えます。土台部分では誰かが商売しているし、こういう雑多な感じがカトマンズなのかもなと、思うようになりました。

ほんの数百メートル歩いただけでも、大小の寺院らしき建造物がそこかしこにあります。人より神々が多く住む町と言われたのも頷けます。過度の人口流入によって、神様達も窮屈そうではありますが、このまま追い出されずに頑張ってほしいものです。

さて、目の前にどーんと大きな寺院らしきものが出てきました。ダルバール広場に着いたようです。ダルバールとは宮廷という意味でカトマンズ王国の中心だった場所です。この広場には柵はありませんが外国人観光客は入場券(Rs.750、1000円弱)が必要で、出入りは自由ですが、中でときどきチェックがあるそうです。写真は、カスタマンダブ寺院、カトマンズの名前の由来となった寺院で、ネパール最古の建造物(12世紀頃)のひとつです。

人を掻き分け広場の中へ入っていくと寺院がいくつも並ぶ広場に出ます。ダルバール広場と名がついていますが、「広場」で想像する広い空間よりも建造物があちこちに建っているので、どこまでが広場なのかわかりにくい場所です。一番左はナラヤン寺院(17世紀)、白いお堂が付随しているのはシヴァ寺院(17世紀)、どの寺院も基壇などに人が腰かけています。

そして、広場の南、ナラヤン寺院すぐ隣には彫刻のきれいな立派な建物があります。クマリの館です。知っている人も多いと思いますが、クマリとは一言で言えばネパールの生きた女神です。そのクマリが住んでいる家ということになります。

クマリは、女神の依代として小さな幼女が選ばれます。ネパールはヒンドゥー教が8割で、そのヒンドゥーの女神も宿るというクマリですが、ネワール仏教徒の僧侶カーストの娘の中から、様々な選定条件を満たすものが候補として選ばれます。その候補の中から何事にも動じない子が選ばれるそうです。ダライラマに似た感じです。
選ばれたら家族と一緒に館に引っ越し、外に出るのは祭りの時だけ。初潮を迎えるまでその生活は続きます。何もわからないうちに連れてこられ、役目を終えれば普通の人になるとはいえ、その後も本当の意味で普通に暮らすのは難しいでしょう。
木彫りの窓枠の彫刻のひとつひとつがそれは美しい館です。

次回はダルバール広場の続きをレポートします♪