イスラエル・雪のエルサレム旧市街と神殿の丘

2013/12/11 (5日目) 続き

17:10 テル・ベエルシェバ遺跡からバスで100分、エルサレムのホテル、プリマ・ロイヤルに到着です。部屋の広さは普通、ポットお茶セット、バスタブ、ドライヤーあり。ロビーのみWi-Fi無料。部屋に入った時、停電してました。ここは雨がそれほど珍しいことではないはずなのに、なんだか嫌な予感です

エルサレムのホテル、プリマ・ロイヤルの部屋


2013/12/12 (6日目)

起きたら外は雪です。皆さんの希望通り雨ではなく雪になりました。雪のエルサレムは珍しいので、ちょっとワクワクです。
8:00 一度止んだと思った雪も、ホテルを出る頃にはまた降ってきました。12月初旬としては60年ぶり(1953年)だとかで、積雪10cm、大雪扱いです。

シオンの丘


8:20 シオン門でバスを降り旧市街を取り囲む城壁の中へと入り、ここから徒歩にて観光します。ポンチョと防水カメラが大活躍です。写真は城壁内側です。

シオン門内側


アルメニア人地区からユダヤ人地区へと歩きます。地図をもっていないとどこを歩いているのかわからなくなります。写真はカルドの一部、世界最古のパレスチナ地図にも描かれたエルサレムのかつてのメインストリートです。

エルサレム旧市街カルド


フルヴァ広場にやってきました。広場の横にはフルヴァ・シナゴークが建っています。塔は隣のモスクのものです。

エルサレム旧市街シナゴーク


フルヴァ広場を横断し、嘆きの壁方面へと向かいます。この辺りはすごく素敵な雰囲気です。

エルサレム旧市街 フルヴァ広場付近


ユダヤ人地区は旧市街の中でもきれいな町並みで、天気のためか人も少なく落ち着いた風情です。旧市街の中は、アルメニア人地区、ユダヤ人地区、ムスリム地区、キリスト教徒地区と4つに別れており、それぞれ違う空気が漂っているように感じます。

エルサレム旧市街 フルヴァ広場付近の道


視界が開けると、そこは高台で、神殿の丘が一望できます。ついにエルサレムの中心へやってきました。黄金の岩のドームの下辺りは嘆きの壁です。この嘆きの壁の前の広場に入るためには、イスラエル軍によるテロ防止のためのセキュリティチェックが必要です。(日本人の団体だからか最初の数人で後は顔パスになりました。)

神殿の丘と嘆きの壁


神殿の丘が入場時間が制限があるので、壁より先に丘に入場することになりました。その前に、もう一回セキュリティチェックがあります。観光シーズンには1,2時間待つこともあるといいますが、雪のためか並ぶことなく通過します。しかし、雪対応のために皆重装備なので上着や荷物の着脱が大変でした。

スロープをあがって、モロッコ門から神殿の丘へと向かいます。そのスロープからは嘆きの壁を上から見ることができます。今までテレビなどで見てきた、熱心なユダヤ教徒でぎっしり埋まっているイメージからは程遠いものがあります。

雪の嘆きの壁


お祈りに来ている人、約2名、それも吹雪に遮られこんな感じです。恐らく滅多にない風景ではないでしょうか。

雪の中嘆きの壁で祈る人


モロッコ門を入り、アル・アクサー寺院の軒先で雪宿りしながら、岩のドームを眺めます。アル・アクサー寺院も、正面に見える岩のドームもムスリム以外は内部に入ることはできません。手前は手足を清めるための水場、アル・カスです。

岩のドーム


岩のドームに近づきます。イスラム教の預言者ムハンマドが昇天した聖岩を囲んで作られた聖地です。ユダヤ教徒にとっても、アブラハムが息子イサクを捧げようとした場所で聖地です。黄金のドームが雪で白くなってないか少し心配でしたが、上部がうっすら白くなっている程度でした。

岩のドーム


ムスリムではないので、入場できないのですが、扉近くにいた方がちらっとだけ中を覗かせてくれました。変わった形のシャンデリアと、中心部にはたくさんの足場のようなものが見えました。修復中のようです。八面体の建物を飾るブルーのタイルの装飾は細かくとても美しかったです。

岩のドームのブルータイル


嘆きの壁の北側にあたる部分の門から神殿の丘を出ます。こちらが嘆きの壁の北側部分の内側にあたるところです。この神殿の丘にはかつてソロモンの神殿があったのですが、神殿を囲む城壁がどれだけ大きく高いものだったのかと思いを巡らせます。ここはそのほんの一部なのです。

神殿の丘の壁内側


城壁の外へ出たら、また旧市街の道を歩き、再び嘆きの壁へと向かいます。雪が降っているだけあってかなり寒いですが、テンション上がっているので、手袋もはずしバシバシ写真を撮ります。入り組んだ旧市街では迷子にならないよう注意しながら・・・。

エルサレム旧市街


次回は嘆きの壁トンネルツアーを中心にレポートします♪

イスラエル・エルサレム嘆きの壁トンネルツアー

2013/12/12 (6日目) 続き

9:50 嘆きの壁の北側の所へ戻ってきて、広場へ出るため再びセキュリティチェックを受けます。嘆きの壁の見学はフリータイムになりました。左2/3が男性、右1/3が女性用と男女でエリアが分けられています。ここは女性用のエリア、観光客がチラホラいるだけのさびしい光景です。

嘆きの壁女性のエリア


男性エリアの柵の向こうを覗きます。少しイメージに近い状態で、ユダヤ人の方がお祈りしている様子が見えました。壁にはぎっしりと小さな紙切れがはさまれています。ユダヤ人の願いが込められたもののようです。写真奥の部分はシナゴークにつながっていますが、女性は入れません。

嘆きの壁男性エリア


嘆きの壁と言われるのは、ユダヤ教の神殿の西側の外壁の一部で、西の壁とも呼ばれています。紀元前10世紀にソロモン王が建てた神殿跡に、バビロン捕囚から解放された人々によって第二神殿が再建されました。その後ヘロデ王が改築しましたが、紀元70年のユダヤ戦争で破壊され、残ったのが外壁の部分です。ユダヤ人にとって特別な場所なのです。

下から7段目までは第二神殿時代のオリジナルです。その上の4段はローマ時代、更に上の細かな石垣はオスマントルコの支配時代に足されたもので、全部で21mもあります。壁から去る時、壁に背を向けて歩く人は観光客です。ユダヤ人は後ずさりするのです。

嘆きの壁はユダヤ教の神殿の西の壁


雪のせいでユダヤ人の思いを直接肌で感じることができなかったのは残念です。
写真は、嘆きの壁から見た旧市街です。まるで、壁の広場を取り囲むように、そしてびっしりと建物で埋まっています。昔に比べ、かなり地面が上がっていることは疑いなく、地下には昔の町が埋まっていることでしょう。雪のため幻想的な景色です。

嘆きの壁広場から見るエルサレム旧市街


10:10 あまりに寒いということで、お茶休憩を取る事になりました。ミントティー(3ドル)などを飲んで、30分ほど体を温めます。観光客が少なくスムーズに観光が進んでいるので時間潰しといった感じでしょう。洞窟のような喫茶店でした。

洞窟風カフェ


10:45 嘆きの壁トンネルツアーに出発です。壁の所で迷子状態になっていた日本人男子学生1人が、現地ガイドの一存で同行することになりました。このトンネルツアーは予約が必要ですが、人気が高く予約もかなり前からしなければいけないので、ラッキーですね。

地下へ降りると、地下通路が伸びています。まずはこの通路脇の一部屋で、かつての神殿が建てられたいきさつなどをガイドが説明します。通常は英語かヘブライ語ですが、日本人ガイドがついているので、日本語で聞けるため理解しやすいです。

嘆きの壁トンネルツアー(ウエスタンウォールトンネル)


映像や模型で、当時の神殿の様子などがよくわかります。紀元前にこんな立派な神殿があったわけですから、すごいとしか言いようがありません。模型も大変よくできていて関心しました。

ユダヤ神殿想像図


説明後、通路を進むと、突き当たりの所には深く掘られた部分を見ることができます。嘆きの壁の下7段はオリジナルと書きましたが、現在の地面の下に17段も壁が続いているのです。過去の地面は相当下だったわけです。

2000年前の地面はかなり下だった


すぐ横にはウィルソンズアーチと呼ばれる部分があります。神殿へ入る橋の橋脚だった部分です。

ウィルソンズアーチ


ウィルソンズアーチの横は、嘆きの壁横にあるシナゴークの2階になっていて、女性のみが入場できます。たくさんの女性でごった返していて、東京の地下鉄並です。彼女らは右の窓から息子たちを見ているようです。あまりの混雑だったので、旅のメモとボールペンを落としてしまいました。ショック・・・。

女性専用礼拝所


下の階は男性用の礼拝所で、ユダヤ教の元服式みたいな行事をそこかしこで行っていました。ユダヤ教徒の子供は13歳で成人と見なされ、バル・ミツワーの儀式を行います。左腕に黒いテープを巻き、額にはミニ山伏頭巾のようなものを載せています。独特の儀式でした。

ユダヤ教成人の儀式


さて、ウィルソンズアーチから先に進むと、嘆きの壁の地下部分に到達します。見えている壁が、嘆きの壁に繋がっているのか、地下に入って何回か曲がるうちにもう方向感覚がつかなくなっていました。

嘆きの壁地下部分


階段を下りた所には、相当に大きい石が使われている部分があります。まるでコンクリートの壁に見えるほどです。杭の穴なども開いています。

嘆きの壁地下部分に使われた巨大な石と杭の跡


壁に沿って歩いていくと、嘆きの壁の延長上、最も至聖所に近い場所があり、そこでは熱心に女性が何人かお祈りしていましたた。さらに細い通路をまっすぐ進みます。人がすれ違うのに、ときどき止まらなくてはならないほどの狭さです。

ウエスタンウォールトンネル


思った以上にこのトンネルツアーが長いのに驚きました。昔からバレないように、こつこつと掘ったトンネルだったらしいです。広大な地下都市に入り込んだようでした。2000年前の地面や、当時の門の跡、石切り場などを通ります。

後半にあったカーブの続く細い通路は、かつての水路。神殿では飲み水以外にもいろんな儀式などで水が使われたりするので、水は重要だったし、たくさん必要だったらしいです。この水路の先に、少し時代が違う貯水池があり、そこが約75分ものトンネルツアーの終点でした。

ウエスタンウォールトンネル内の昔の水路


次回はヴィア・ドロローサ(イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道)をレポートします♪

イスラエル・エルサレム悲しみの道ヴィアドロローサ

2013/12/12 (6日目) 続き

12:00 嘆きの壁トンネルツアーの貯水池から外へ出ると、そこはムスリム地区、十字架の道ヴィア・ドロローサの出発点、第一ステーションの前でした。ちょうど雪が止んでいました。イエスが有罪とされ十字架に処されるまで最後にたどった道をこれから歩きます。

ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)と呼ばれるようになったこの道には当時のエピソードにちなんで14のステーション(日本語では第1留~)があります。第一ステーションは、当時の総督ピラトの官邸、エル・オマリア。ここでイエスは有罪の判決を受けました。

第一留ピラトが有罪判決を下す


すぐ隣に第二ステーション鞭打ちの教会があります。ここで十字架を背負わされたとされていますが、当時は縦木は処刑の丘の上に予め立っていたと思われ本当は横木だけ背負ったと考えられます。教会内には見事なステンドグラスがあります。

第二留鞭打ちの教会


そして、いよいよ道を歩き始めます。道の上に残るアーチがちらっと写真に写っています。道の右にあるエッケ・ホモ教会に、かつての門が取り込まれています。3つのアーチがあった門の半分くらい現在の教会内にありました。現在の道とイエスが歩いた道は微妙にずれていたのでしょう。

ヴィア・ドロローサ、エッケ・ホモ・アーチ


ここはムスリム地区、道で珍しい雪にはしゃいで雪合戦をしているアラブ人の少年たちがいました。私たちにも流れ雪玉が当たるので、ガイドが少年たちに注意をします。ここで口喧嘩になりました。いろいろな人種宗教が入り混じるエルサレムでは小さなことが火種になりかねないと肌で感じました。

さて、道を曲がると、そこに第三、第四ステーションが並んでありました。黒くて丸い標識が各ステーションにはあって、ローマ数字が刻まれています。
第三ステーションは最初に躓いたとされる場所です。

ヴィア・ドロローサ第四留、第五留


第四ステーションは、母マリアが十字架を背負ったイエスを見送った場所とされています。以前は20メートルほど先だと思われていましたが、ここの教会地下にあるモザイクにサンダルが発見され、マリアのサンダルと考えポイントを移したようです。

ヴィア・ドロローサ第五留マリアのサンダルのモザイク


次の角ですぐにまた曲がります。そこは第五ステーション。通りがかったシモンが代わりに十字架を背負わされた所です。このエピソードは聖書に書かれていますが、ヴィア・ドロローサの各エピソードは聖書に書かれている以外の伝聞も採用されています。

ヴィア・ドロローサ第五留シモンが十字架を背負わされた場所


このあたりから、両側はお土産屋通りとなります。シーズンオフでしかも大雪のため開いているお店はほとんどありません。また観光客も少ないので、スムーズに歩けますが、雪のため足元には注意が必要です。この道にはベロニカがハンカチでイエスをぬぐった第六ステーションがあります。現在すっごく小さな教会が建っています。

ヴィア・ドロローサなだらかな登り道


第七ステーションはかつてのエルサレムの城壁があった辺りで、裁きの門と呼ばれる門から城外に出たようです。門の敷居で2度目に躓いたとされています。またこの門に罪状が張り出されたと言われています。

ヴィア・ドロローサ第七留ふたたび躓く


第八ステーションは「私のために泣くな」といった場所、ここは以前は聖墳墓教会の一部だった場所だそうです。この辺りから現在の道は確実に当時のものからは離れて歩かないとならないように見えます。ということで、今は何も残っていない三度目に躓いたという第九ステーションは寄り道になるので割愛されました。

道をぐるっと回って第十ステーション以降がある聖墳墓教会へと向かいます。キリスト教徒の巡礼者や観光客向けに巡礼のお土産屋が並びますが、店をやっているのはアラブ人というのが何とも不思議な感じです。宗教と商売は関係ない、という信条でしょうか。

ヴィア・ドロローサのアラブの土産屋


いよいよ聖墳墓教会へとやってきました。道が狭いので写真に入りきりませんが、それでもかつての1/3くらいになっているらしいです。ここはイエスの十字架が立てられたゴルゴダの丘があった所です。確かになだらかに上ってきましたが、現在は丘というほど高低差はないように思いました。

ヴィア・ドロローサの終点聖墳墓教会


聖墳墓教会は336年に完成したもので、その後の増改築や火事からの再建により現在に至っているので、複雑な構造をしています。また各宗派がいくつもの祭壇等をそれぞれ管理している状況で、教会の入口の門の鍵はアラブ人が管理しているという状態です。

最初に入って右、アダムの祭壇をまず見学します。この岩の裂け目は、イエスが死ぬときに起こった地震で割けたものとされ、イエスの血が裂け目を流れアダムの墓へと流れたと言われています。

聖墳墓教会のアダムの祭壇


アダムは、最初の人アダムとイブのアダムです。このゴルゴダに彼の墓があるとされ、その上に十字架が建てられていたことになります。よく十字架の下に骸骨が描かれていることがありますが、それはアダムの墓を指すものになります。

アダムの祭壇の上階へと急な階段をあがると、そこはかつてのゴルゴダの丘表面にあたる部分になります。第十ステーション、衣を脱がされた場所、そして、第十一ステーションは十字架に釘付けにされた場所になります。それぞれ密接した場所なので、絵などが飾られてその場所を示しています。

第十一留十字架に釘付けされる


第十二ステーションは、まさに十字架が立っていた場所、イエスが息を引き取った場所になります。きらびやかな祭壇の脇には人がたくさん並んでいます。この祭壇の下に十字架が立っていた場所を示すプレートがあり岩に触れることができるためです。

第十二留イエスの十字架が立てられた場所


幸い写真タイムの間に並んでその十字架が立てられた場所に私も触れることができました。人一人が入れる狭いスペースに屈んでもぐりこみ、この穴に手を入れます。ちょうど腕一本が入る穴に、肘まで突っ込むと冷たい石に触れることができました。

十字架が立てられた場所に作られたプレート


第十三ステーションは母マリアがイエスの亡骸を受け取った場所とされ、第十二ステーションの祭壇に隣接して小さなマリアの祭壇が作られています。第十~第十三までは、広めのリビングルーム程度の空間内に密接しています。

最後にイエスの墓へ足を向けます。下階に戻り、円形の聖堂アナスタシスに入ると中央に小さな教会のような聖堂があります。ここが第十四ステーション、イエスの墓になります。ここはかつて洞窟であった場所で、墓であると同時に、復活した場所ということになるので、第十五ステーションでもあると言う人もいます。

イエスの墓


この聖堂の中のお墓の部分には入ることもできます。通常は長蛇の列ができ、1、2時間待ちも当たり前ということで、添乗暦の長い添乗員さんも一度も入ったことがないと言いますが、天候のためか列は途切れた状態でした。

前の人が出るまで3分ほど並んで、中へと入ります。中は5人くらい入るといっぱいという広さで、そこにお墓がありました。横幅が一人分の身長もないくらいのものでした。コプト以外のキリスト教の聖地として共同管理されていますが、コプト教のお墓はすぐ裏側にあります。(お墓の中は写真撮影禁止です。)

イエスの墓に入場


次回は雪のエルサレム観光の続きをレポートの予定です♪
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