イスラエル・大雪のエルサレム観光
2013/12/12 (6日目) 続き
13:55 聖墳墓教会を出て、旧市街をユダヤ人地区へと歩き、嘆きの壁トンネルツアーから旅の道連れになった大学生とお別れします。ベツレヘムを見てからヨーロッパ入りしたいと言っていた彼の旅はその後どうなったでしょうか。
14:10 バートンハウス近くのHAROVAというレストランで遅めのLunchを取ります。神殿の丘を見渡せる見晴らしのいいレストランですが、皆さん暖を取るのが優先で、もう雪景色なんて見たくないという感じです。

15:05 シオン門よりバスにのりハダサ病院へ向かいます。日程上は明日に組み込まれていましたが、明日金曜は閉館日なので入れ替えるとのことです。午前中から開いてるか電話をしても出ない、ものの本によると16時までと書いてあるから行ってみましょうと現地ガイドは言いました。
ハダサ病院にはシャガールが寄贈したステンドグラスがあるので、それを見に行くのですが、病院は旧市街からはかなり離れており、新市街を通り西の方へと向かいます。新市街はいかにも近代的な建物や、変わった建物が多く見られます。

雪山のような所に差し掛かり、眼下に目立つ教会が見えました。聖ヨハネ生誕教会です。ここは明日来る予定ということでスルーです。(結局は行けませんでした・・・。)

15:40 ハダサ病院に到着です。近代的な病院で、医療水準も高そうなことがすぐにわかります。ですが、ステンドグラスのあるシナゴークまで行くとドアが閉まっています。
雪のため係員が出勤しなかったようです。

しかし、ドアには「開館時間は日曜から木曜の8:00-15:30」と書かれた案内が張ってありました。帰国後私はユーラシア旅行社に、行程のミスであり雪が降って無くても時間を過ぎて見れなかった、と旅程保障を求めましたが、「事前に16:00までと交渉してあった」などと言い訳をされました。現地の案内とは違うし、旅行会社に対しまた不信感が増える結果になりました。
さて、せっかく他の予定と入れ替えてまで遠くまで来たのに見れないなんて、と思って、建物の外側からだけでもと、そのシャガールのステンドグラスを見に行きました。3枚ずつが4方にあるもので、裏からは鉛線が見えるだけです。ハンダ付けは丁寧にされていましたが、色も柄もわからずさっぱりその美しさがわからずとても残念です。

16:30 皆さんの要望もありホテルへ帰る前にスーパーマーケットへ立ち寄ることになりました。改めて物価の高さを思い知ります。日本より高いものがほとんどです。例えば板チョコが1枚200-300円くらいします。私はワインなどをクレジットカードで購入、6000円ほどでした。私が海外でする買い物としてはかなり高いです。

17:05 連泊のプリマ・ロイヤルホテルに到着。
ホテルで夕食後、ロビーでネットしてたら停電が起きました。なんかもう慣れてきました。原因は明らかに雪のせいなので、復旧にはしばらく時間がかかりました。
2013/12/13 (7日目)
朝、窓の外を見ると、さらに雪が積もっています。ざっと30cmはありそう。アンテナが折れたとかで、TVまで見れなくなりました。
8:00 観光のためホテルを出発する予定でしたが、大雪のため、バスを動かせないし、警察からも止められているとのこと・・・。本日観光はキャンセル、希望者のみ徒歩にてできる所まで観光と変更になりました。ホテルの目の前にも大木が倒れ、道も何もない状態です。(写真:T添乗員提供)

8:40 希望者で歩いて観光へ向かいます。大通りを歩き、おしゃれなショッピングモールまでやってきました。雪がなければ気軽にホテルから歩ける距離で、夜12:00とかまで開いてますが、スーパーなどはありません。通りにはアートがいっぱい並んでいて、買うこともできるようになってるそうです。(写真:S氏提供)

9:20 やっと旧市街の入口、ヤッフォ門の前へたどり着きました。どこもかしこも一面雪だらけで人影もまばらです。

皮肉なことに晴れてきました。旧市街の城壁の内側に見えるのはダビデの塔です。
紀元前20年にヘロデ王が要塞として建てたものが、各時代に増改築され今に至っています。

アルメニア地区を歩き、途中セントジェームズ教会でアルメニア人虐殺の話をガイドさんに聞きます。その後、シオン門をくぐりシオンの丘へと向かいます。
10:20 マリア永眠教会にて20分休憩の後、教会を見学します。最後の晩餐もこのあたりのどこかだったと思われていますが、はっきりとはわかっていないようです。(写真:T添乗員提供)

教会の地下には、マリア永眠の像が静かに横たわっていました。このマリアの上には、めずらしく女性の系図が描かれています。(写真:T添乗員提供)

マリア永眠教会から奥にある、最後の晩餐の部屋と言われている所へ行ってみますが、ドアが閉まっていました。
さらに奥、ダビデ王の墓へとやってきました。ここはダビデの時代のシオンではないので、場所としては間違っている、とガイドは説明します。ダビデの時代にはシオンはもっと谷の下の方にあったらしいです。要するに宗教的な存在で、現在シナゴークなので、男女別、石棺の左右半分のところでエリアが分けられています。(写真:T添乗員提供)

ダビデ王の墓のシナゴークの2階に最後の晩餐の部屋があるのですが、開いていないので、屋上へあがって景色を眺めました。オリーブ山やヨルダンの山並みなどが見えました。今回、どうやらオリーブ山の観光はできないことになりそうです。

シオン門前を通り、鶏鳴教会を目指しましたが、やはり開いていませんでした。城壁沿いには遺跡っぽいものが残っていますがこの辺りがダビデの町でしょうか。道の反対側の谷の下が昔のシオンだそうです。この辺りで、アラブ人の雪合戦にまた怒ってしまったガイドと一触即発ムードが漂いました。ガイドさんも現地暮らしが長すぎて血の気が少し多くなってしまったようです。
糞門から再び旧市街に入ります。神殿南の壁の所はそのまま考古学公園として残されているようです。南の壁考古学公園は見学の予定が入っていましたが、昨日の行程変更の影響もあり、結局またのお楽しみ、ということになりました。

再び嘆きの壁へ。無事にこの旅が終わることを祈り、壁を後にします。なんだか滅茶苦茶な観光になり、雪のせいなので誰を恨むこともできません。

嘆きの壁からはひたすら西に歩きヤッフォ門を目指します。足元は滝の様に水が流れ、上からも解けた雪が落ちて来ます。皆さん靴の中までびしょびしょで、凍傷状態らしいですが、私の合皮ブーツは全然しみないし、全身ヒートテックで、まだまだ観光したい気満々でした。
ヤッフォ門から来た道を引き返し、12:45 ホテルに到着、ホテルで昼食を食べます。
次回はイスラエル旅レポートのラストレポート、ベツレヘムへのチャレンジと大雪のエルサレム脱出、テルアビブまでをレポートします♪
13:55 聖墳墓教会を出て、旧市街をユダヤ人地区へと歩き、嘆きの壁トンネルツアーから旅の道連れになった大学生とお別れします。ベツレヘムを見てからヨーロッパ入りしたいと言っていた彼の旅はその後どうなったでしょうか。
14:10 バートンハウス近くのHAROVAというレストランで遅めのLunchを取ります。神殿の丘を見渡せる見晴らしのいいレストランですが、皆さん暖を取るのが優先で、もう雪景色なんて見たくないという感じです。

15:05 シオン門よりバスにのりハダサ病院へ向かいます。日程上は明日に組み込まれていましたが、明日金曜は閉館日なので入れ替えるとのことです。午前中から開いてるか電話をしても出ない、ものの本によると16時までと書いてあるから行ってみましょうと現地ガイドは言いました。
ハダサ病院にはシャガールが寄贈したステンドグラスがあるので、それを見に行くのですが、病院は旧市街からはかなり離れており、新市街を通り西の方へと向かいます。新市街はいかにも近代的な建物や、変わった建物が多く見られます。

雪山のような所に差し掛かり、眼下に目立つ教会が見えました。聖ヨハネ生誕教会です。ここは明日来る予定ということでスルーです。(結局は行けませんでした・・・。)

15:40 ハダサ病院に到着です。近代的な病院で、医療水準も高そうなことがすぐにわかります。ですが、ステンドグラスのあるシナゴークまで行くとドアが閉まっています。
雪のため係員が出勤しなかったようです。

しかし、ドアには「開館時間は日曜から木曜の8:00-15:30」と書かれた案内が張ってありました。帰国後私はユーラシア旅行社に、行程のミスであり雪が降って無くても時間を過ぎて見れなかった、と旅程保障を求めましたが、「事前に16:00までと交渉してあった」などと言い訳をされました。現地の案内とは違うし、旅行会社に対しまた不信感が増える結果になりました。
さて、せっかく他の予定と入れ替えてまで遠くまで来たのに見れないなんて、と思って、建物の外側からだけでもと、そのシャガールのステンドグラスを見に行きました。3枚ずつが4方にあるもので、裏からは鉛線が見えるだけです。ハンダ付けは丁寧にされていましたが、色も柄もわからずさっぱりその美しさがわからずとても残念です。

16:30 皆さんの要望もありホテルへ帰る前にスーパーマーケットへ立ち寄ることになりました。改めて物価の高さを思い知ります。日本より高いものがほとんどです。例えば板チョコが1枚200-300円くらいします。私はワインなどをクレジットカードで購入、6000円ほどでした。私が海外でする買い物としてはかなり高いです。

17:05 連泊のプリマ・ロイヤルホテルに到着。
ホテルで夕食後、ロビーでネットしてたら停電が起きました。なんかもう慣れてきました。原因は明らかに雪のせいなので、復旧にはしばらく時間がかかりました。
2013/12/13 (7日目)
朝、窓の外を見ると、さらに雪が積もっています。ざっと30cmはありそう。アンテナが折れたとかで、TVまで見れなくなりました。
8:00 観光のためホテルを出発する予定でしたが、大雪のため、バスを動かせないし、警察からも止められているとのこと・・・。本日観光はキャンセル、希望者のみ徒歩にてできる所まで観光と変更になりました。ホテルの目の前にも大木が倒れ、道も何もない状態です。(写真:T添乗員提供)

8:40 希望者で歩いて観光へ向かいます。大通りを歩き、おしゃれなショッピングモールまでやってきました。雪がなければ気軽にホテルから歩ける距離で、夜12:00とかまで開いてますが、スーパーなどはありません。通りにはアートがいっぱい並んでいて、買うこともできるようになってるそうです。(写真:S氏提供)

9:20 やっと旧市街の入口、ヤッフォ門の前へたどり着きました。どこもかしこも一面雪だらけで人影もまばらです。

皮肉なことに晴れてきました。旧市街の城壁の内側に見えるのはダビデの塔です。
紀元前20年にヘロデ王が要塞として建てたものが、各時代に増改築され今に至っています。

アルメニア地区を歩き、途中セントジェームズ教会でアルメニア人虐殺の話をガイドさんに聞きます。その後、シオン門をくぐりシオンの丘へと向かいます。
10:20 マリア永眠教会にて20分休憩の後、教会を見学します。最後の晩餐もこのあたりのどこかだったと思われていますが、はっきりとはわかっていないようです。(写真:T添乗員提供)

教会の地下には、マリア永眠の像が静かに横たわっていました。このマリアの上には、めずらしく女性の系図が描かれています。(写真:T添乗員提供)

マリア永眠教会から奥にある、最後の晩餐の部屋と言われている所へ行ってみますが、ドアが閉まっていました。
さらに奥、ダビデ王の墓へとやってきました。ここはダビデの時代のシオンではないので、場所としては間違っている、とガイドは説明します。ダビデの時代にはシオンはもっと谷の下の方にあったらしいです。要するに宗教的な存在で、現在シナゴークなので、男女別、石棺の左右半分のところでエリアが分けられています。(写真:T添乗員提供)

ダビデ王の墓のシナゴークの2階に最後の晩餐の部屋があるのですが、開いていないので、屋上へあがって景色を眺めました。オリーブ山やヨルダンの山並みなどが見えました。今回、どうやらオリーブ山の観光はできないことになりそうです。

シオン門前を通り、鶏鳴教会を目指しましたが、やはり開いていませんでした。城壁沿いには遺跡っぽいものが残っていますがこの辺りがダビデの町でしょうか。道の反対側の谷の下が昔のシオンだそうです。この辺りで、アラブ人の雪合戦にまた怒ってしまったガイドと一触即発ムードが漂いました。ガイドさんも現地暮らしが長すぎて血の気が少し多くなってしまったようです。
糞門から再び旧市街に入ります。神殿南の壁の所はそのまま考古学公園として残されているようです。南の壁考古学公園は見学の予定が入っていましたが、昨日の行程変更の影響もあり、結局またのお楽しみ、ということになりました。

再び嘆きの壁へ。無事にこの旅が終わることを祈り、壁を後にします。なんだか滅茶苦茶な観光になり、雪のせいなので誰を恨むこともできません。

嘆きの壁からはひたすら西に歩きヤッフォ門を目指します。足元は滝の様に水が流れ、上からも解けた雪が落ちて来ます。皆さん靴の中までびしょびしょで、凍傷状態らしいですが、私の合皮ブーツは全然しみないし、全身ヒートテックで、まだまだ観光したい気満々でした。
ヤッフォ門から来た道を引き返し、12:45 ホテルに到着、ホテルで昼食を食べます。
次回はイスラエル旅レポートのラストレポート、ベツレヘムへのチャレンジと大雪のエルサレム脱出、テルアビブまでをレポートします♪