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イスラエル・大雪のエルサレム観光

2013/12/12 (6日目) 続き

13:55 聖墳墓教会を出て、旧市街をユダヤ人地区へと歩き、嘆きの壁トンネルツアーから旅の道連れになった大学生とお別れします。ベツレヘムを見てからヨーロッパ入りしたいと言っていた彼の旅はその後どうなったでしょうか。

14:10 バートンハウス近くのHAROVAというレストランで遅めのLunchを取ります。神殿の丘を見渡せる見晴らしのいいレストランですが、皆さん暖を取るのが優先で、もう雪景色なんて見たくないという感じです。

エルサレム旧市街神殿の丘を見渡せる絶景レストラン


15:05 シオン門よりバスにのりハダサ病院へ向かいます。日程上は明日に組み込まれていましたが、明日金曜は閉館日なので入れ替えるとのことです。午前中から開いてるか電話をしても出ない、ものの本によると16時までと書いてあるから行ってみましょうと現地ガイドは言いました。

ハダサ病院にはシャガールが寄贈したステンドグラスがあるので、それを見に行くのですが、病院は旧市街からはかなり離れており、新市街を通り西の方へと向かいます。新市街はいかにも近代的な建物や、変わった建物が多く見られます。

エルサレム新市街


雪山のような所に差し掛かり、眼下に目立つ教会が見えました。聖ヨハネ生誕教会です。ここは明日来る予定ということでスルーです。(結局は行けませんでした・・・。)

聖ヨハネ生誕教会


15:40 ハダサ病院に到着です。近代的な病院で、医療水準も高そうなことがすぐにわかります。ですが、ステンドグラスのあるシナゴークまで行くとドアが閉まっています。
雪のため係員が出勤しなかったようです。

ハダサ病院


しかし、ドアには「開館時間は日曜から木曜の8:00-15:30」と書かれた案内が張ってありました。帰国後私はユーラシア旅行社に、行程のミスであり雪が降って無くても時間を過ぎて見れなかった、と旅程保障を求めましたが、「事前に16:00までと交渉してあった」などと言い訳をされました。現地の案内とは違うし、旅行会社に対しまた不信感が増える結果になりました。

さて、せっかく他の予定と入れ替えてまで遠くまで来たのに見れないなんて、と思って、建物の外側からだけでもと、そのシャガールのステンドグラスを見に行きました。3枚ずつが4方にあるもので、裏からは鉛線が見えるだけです。ハンダ付けは丁寧にされていましたが、色も柄もわからずさっぱりその美しさがわからずとても残念です。

ハダサ病院シナゴークにあるシャガールのステンドグラス


16:30 皆さんの要望もありホテルへ帰る前にスーパーマーケットへ立ち寄ることになりました。改めて物価の高さを思い知ります。日本より高いものがほとんどです。例えば板チョコが1枚200-300円くらいします。私はワインなどをクレジットカードで購入、6000円ほどでした。私が海外でする買い物としてはかなり高いです。

エルサレムのスーパーマーケットでお買い物


17:05 連泊のプリマ・ロイヤルホテルに到着。
ホテルで夕食後、ロビーでネットしてたら停電が起きました。なんかもう慣れてきました。原因は明らかに雪のせいなので、復旧にはしばらく時間がかかりました。

2013/12/13 (7日目)

朝、窓の外を見ると、さらに雪が積もっています。ざっと30cmはありそう。アンテナが折れたとかで、TVまで見れなくなりました。

8:00 観光のためホテルを出発する予定でしたが、大雪のため、バスを動かせないし、警察からも止められているとのこと・・・。本日観光はキャンセル、希望者のみ徒歩にてできる所まで観光と変更になりました。ホテルの目の前にも大木が倒れ、道も何もない状態です。(写真:T添乗員提供)

ホテルの前で雪の倒れた大木


8:40 希望者で歩いて観光へ向かいます。大通りを歩き、おしゃれなショッピングモールまでやってきました。雪がなければ気軽にホテルから歩ける距離で、夜12:00とかまで開いてますが、スーパーなどはありません。通りにはアートがいっぱい並んでいて、買うこともできるようになってるそうです。(写真:S氏提供)

エルサレム新市街のショッピングモール


9:20 やっと旧市街の入口、ヤッフォ門の前へたどり着きました。どこもかしこも一面雪だらけで人影もまばらです。

ヤッフォ門前


皮肉なことに晴れてきました。旧市街の城壁の内側に見えるのはダビデの塔です。
紀元前20年にヘロデ王が要塞として建てたものが、各時代に増改築され今に至っています。

雪のエルサレム旧市街ダビデの塔


アルメニア地区を歩き、途中セントジェームズ教会でアルメニア人虐殺の話をガイドさんに聞きます。その後、シオン門をくぐりシオンの丘へと向かいます。

10:20 マリア永眠教会にて20分休憩の後、教会を見学します。最後の晩餐もこのあたりのどこかだったと思われていますが、はっきりとはわかっていないようです。(写真:T添乗員提供)

マリア永眠教会


教会の地下には、マリア永眠の像が静かに横たわっていました。このマリアの上には、めずらしく女性の系図が描かれています。(写真:T添乗員提供)

マリア永眠の像


マリア永眠教会から奥にある、最後の晩餐の部屋と言われている所へ行ってみますが、ドアが閉まっていました。

さらに奥、ダビデ王の墓へとやってきました。ここはダビデの時代のシオンではないので、場所としては間違っている、とガイドは説明します。ダビデの時代にはシオンはもっと谷の下の方にあったらしいです。要するに宗教的な存在で、現在シナゴークなので、男女別、石棺の左右半分のところでエリアが分けられています。(写真:T添乗員提供)

ダビデ王の墓


ダビデ王の墓のシナゴークの2階に最後の晩餐の部屋があるのですが、開いていないので、屋上へあがって景色を眺めました。オリーブ山やヨルダンの山並みなどが見えました。今回、どうやらオリーブ山の観光はできないことになりそうです。

最後の晩餐の部屋屋上から見たオリーブ山


シオン門前を通り、鶏鳴教会を目指しましたが、やはり開いていませんでした。城壁沿いには遺跡っぽいものが残っていますがこの辺りがダビデの町でしょうか。道の反対側の谷の下が昔のシオンだそうです。この辺りで、アラブ人の雪合戦にまた怒ってしまったガイドと一触即発ムードが漂いました。ガイドさんも現地暮らしが長すぎて血の気が少し多くなってしまったようです。

糞門から再び旧市街に入ります。神殿南の壁の所はそのまま考古学公園として残されているようです。南の壁考古学公園は見学の予定が入っていましたが、昨日の行程変更の影響もあり、結局またのお楽しみ、ということになりました。

南の壁考古学公園


再び嘆きの壁へ。無事にこの旅が終わることを祈り、壁を後にします。なんだか滅茶苦茶な観光になり、雪のせいなので誰を恨むこともできません。

雪のエルサレム嘆きの壁広場


嘆きの壁からはひたすら西に歩きヤッフォ門を目指します。足元は滝の様に水が流れ、上からも解けた雪が落ちて来ます。皆さん靴の中までびしょびしょで、凍傷状態らしいですが、私の合皮ブーツは全然しみないし、全身ヒートテックで、まだまだ観光したい気満々でした。

ヤッフォ門から来た道を引き返し、12:45 ホテルに到着、ホテルで昼食を食べます。

次回はイスラエル旅レポートのラストレポート、ベツレヘムへのチャレンジと大雪のエルサレム脱出、テルアビブまでをレポートします♪

パレスチナ自治区・ベツレヘム~大雪のエルサレム脱出紀行

(本日の記事は長文です!)

2013/12/13 (7日目) 続き

雪は止んだものの、結局、午後も車が出せないし、行ってもどこも開いていないだろうと午後も観光はキャンセルになりました。それでなくても金曜の午後は休みの所が多いのに、雪で交通が麻痺してるため、施設やお店の人が出てきていないのです。

金曜の夕方から土曜の夕方まではイスラエルの安息日シャバット、そして明日は予定では深夜便で帰国するので、イスラエルの観光もこれで終わりかと思うとやり切れない気持が込み上げてきました。午後は希望者に現地ガイドが勉強会をしてくれることになりましたが、停電が頻発するホテルにこもるのなんて、まっぴらです。

ホテルのフロントに、タクシーを呼べないか、と相談してみました。すると、目の前にいた男性を観光タクシーのドライバーだよと紹介してくれました。どこ行きたいの?これからベツレヘムへ行くから、良ければどうだ、一人70ドル、と思いがけないオファーがありました。本来、ツアーに含まれていたベツレヘム行きは中止になって、明日も望み薄なので、千載一遇のチャンスです。

たまたま隣にいた同じツアーのS氏としばらく悩んでいると、他に行く人がいるので、50ドルにしてもいいと値下げして来ました。今更50ドルケチってチャンスを逃がす手はないと私の気持は決まっていました。S氏はあまり乗り気じゃないように見えましたが、私一人で行かせるのを不安に感じたのか一緒に行くことになりました。

14:30 ベツレヘムはパレスチナ自治区だし、この天候、万一のことがあってはと、添乗員に、これからタクシーでベツレヘムへ行ってくる、と耳打ちしてからホテルを出ます。私とS氏の2人なら大丈夫と思ったのか、気をつけて、もし明日行けたらごめんね、と送り出してくれました。

観光タクシーと言っても、普通の乗用車でした。同じホテルに泊まっていたアメリカから来た3人と一緒に、後部座席に4人乗るという荒業です。大丈夫10分だから、とドライバーは言い、身動きできない状態で出発です。ホテルから車はバックで、メイン道路に出るだけでも10分かかっちゃったんじゃないかと思います。

ベツレヘムへはたったの8kmほどの道のりです。本当にびっくりしたことに、途中から雪が全くないどころか、道路はかわいていました。エルサレムは高度が高いので、ちょっと下がっただけでまったく状況が違うのです。

ドライバーはガイドも兼ねて、遠くに見える富士山みたいな山とか、途中いろんな説明をしてくれましたが、動けなくてメモが取れません。アメリカ人たちはカトリックのクリスチャンで、ドライバーもそうだと言っていました。だから金曜の午後、悪天候の中仕事をしているわけです。

ベツレヘムはパレスチナ自治区にあります。パレスチナへ入るときも、通常はあの鉄柵の間を歩くんだよとか説明しながら、ノンストップでチェックポイントを通過しました。

ベツレヘムへ着くと、まずアメリカ人の希望もあり、お土産屋に立ち寄ります。ベツレヘムは物価が安く、税金もないし、聖地だし買い物はベツレヘムがお勧め、とのことですが、ドライバーの親族が経営するお店らしいです。タバコを例にとり、値段は6割程度だと説明してくれました。

同乗した大柄のアメリカ人女性は熱心な信者らしく、400ドル近くする木彫りの飾りやら
ペンダントを買っていて、かなり待たされました。そうこうしている間にベツレヘムにも雪がちらつき始めました。

お土産屋には、少し大きめの車とジョージと名乗ったアメリカ人ぽいベツレヘムのガイドが迎えに来ました。ジョージと一緒に生誕教会へと向かいます。まったく店をやっていないスークを通り、メンジャー広場へと向かいます。

広場には、赤いオーナメントがびっしりの大きなクリスマスツリーと、広場を囲む木々には電飾があり、クリスマスマーケットが開かれているようで、派手やかさはないものの、幻想的できれいなクリスマスの光景でした。パレスチナなのに、ヨーロッパのクリスマスマーケットのようでした。

そして広場の向こうにイエスが生まれたとされる生誕教会がたっています。クリスマス前にイスラエル旅行して、ここ生誕教会に来ないなんて何しに来たのかという気持だったので、入る前から来てよかったという気持が湧き上がりました。

建物の割りに、とても小さな入り口をかがんで入ります。修復のためか足場が組まれていますが、まずは床のモザイクを見学します。そして、がらんとした空間の奥には、祭壇があり、おびただしいランプが吊るされています。(写真:S氏提供)

ベツレヘム生誕教会


そして、地下の最も重要な生誕の場所へと階段を下ります。そこは広くはない洞窟の空間でした。他にも巡礼のツアーが来ていて混雑しています。

イエスが生まれたとされる生誕教会地下の洞窟


生誕の場所とされる所は、聖墳墓教会の十字架が建てられた場所同様、祭壇が作られています。一人ずつ並んで、そのマーク、頭ひとつ分の大きさの周りにスターがかたどられている所へ、頭や手を当て祈りを捧げます。私もせっかくなのでここへ来れた感謝と無事に帰れることを祈りました。

イエスの生まれた場所


あまり教会っぽいくない生誕教会の横には、フランシスコ派修道院聖カテリーナ教会が隣接してあります。きれいな奥行きのある教会で、毎年クリスマスイブのミサが全世界にテレビ放映されるのはここからです。(写真:S氏提供)

フランシスコ派修道院聖カテリーナ教会


その中庭の回廊には聖ヒエロニムス像があります。雪が強くなってきたので、早く帰った方がいい、とあわただしく観光終了です。タクシードライバーが入り口で待っている、とジョージと別れ、生誕教会前で乗ってきた窮屈なタクシーに乗りました。(写真:S氏提供)

フランシスコ派修道院聖カテリーナ教会の回廊


イスラエル側に帰るときもチェックポイントでは、ドライバーが顔見知りなのか係官に手を上げるだけでノンストップで通過します。本来はパスポートやセキュリティのチェックがあるはずなので、パスポートを持ってきていましたが、結局出すことはありませんでした。

エルサレムに戻ってくると、もう吹雪状態です。ホテルまでもう少しという道路で、ついに車がスタックしてしまいました。幸運にも除雪車が通ったので、すぐ後をついて行こうとしましたが、結局ダメでした。

ドライバーは何度もトライしましたが、最後はすまない歩いてくれ、と道を教え、大通りの坂道の真ん中で私たちは車を降りました。70ドル徴収し(私たちは50ドルで良かったよね、と最後に支払い)、ホテル目指して、吹雪の中を歩きます。

17:00過ぎ、やっとホテルにたどり着きましたが、この間、大変な目にあいました。雪もですが、カメラを無くしたのです。恐らく、盗難です。はっきりとした証拠はないですが、覚えはあります。とにかく悪天候の中ホテルへ帰ることに気を取られていたのです。

カメラ自体より、せっかく撮ったデータが手元に残らなかったことに大ショックを受けました。そういうわけで、前回から所々借り物の写真で紹介していたわけです。自分の予備のカメラで撮ったものは少なく、添乗員さん、この日ベツレヘムに一緒に行ってくれたS氏に写真をもらいました。毎日PCにバックアップを取っていたので、一日分で澄んだのは幸いでした。

ホテルでは留守中なんども停電があったとかで、もうインターネットも繋がらなくなっていました。テレビもダメ、従業員も出勤できないからホテル内の店も開かないし、清掃も入りません。一人部屋だとタオルやトイレットペーパーもまだあるのであまり困りませんでしたが、何だか大変なことになってきました。

2013/12/14 (8日目)

朝、目が覚めると外の景色はさらに悪化しているように見えました。部屋の外から見える隣の駐車場では、車がすっぽり埋まっています。東京都心でこんな雪が降ったらどうなるか、そういう状態です。60年ぶりの大雪でカイロでも雪が降ったというので稀に見る大寒波、運が悪かったと言うしかありません。

記録的大雪のエルサレム


8:00 テルアビブまでの道路が封鎖されているため12:00までホテル待機、となりました。いつ動けるようになるかわからないからホテルで待機してくれとのことです。昨日無理してベツレヘムに行ったのは正解でした。

ホテルの玄関前で昨日ベツレヘムで買ってきたお土産の30cm定規で積雪を測ってみました。これやってみたかったからというのもあり記念にと思って買ったものです。人の出入りのある玄関前でさえ、30cm定規が埋まってしまいそうな積雪でした。

人の出入りの多いホテル前の積雪


目の前の倒壊した大木も片付く気配はなさそうです。天気は晴れて来たので、これ以上悪くなることはなさそうです。今晩の飛行機に間に合わなかった場合、トルコ航空は振り替えてくれるという事と、ホテル代を旅行会社が持ってくれるという事になったので、私としてはもう、無理に帰らなくてもいい、そんな気持になっていました。

相変わらずネットも何も使えないので、午前中何もすることがありませんでした。ツアー客同士で話などして過ごしますが、実は昨日タクシーでベツレヘムまで行ってきたと話ししたら、一緒に行きたかったと言う人がたくさんいて、ちょっとびっくりしました。

お昼頃、現地ガイドさんが個人的に知人からショベルカーを借りてきました。これで、昨日タクシーがバックで進んだ道を除雪し、バスを動かせるようにする、というのです。お昼ご飯を食べている間に除雪が進み、食後にはホテルを出ることになりました。

個人的に除雪


13:00 バスはホテルを出発しましたが、1号線、443号線とも閉鎖されているため、今日エルサレムを脱出する方法はぐるっと4時間くらいかけて遠回りするしかないとのことです。そんなエルサレムから出れなくなってしまった観光客の脱出手段として、臨時の列車が出ることになったので、駅へと向かいます。エルサレムは元々白ぽっい石を使った建物が多いですが、白い街という印象として私の中に残りそうです。

白い街エルサレム


シャバットなので通常は休みですが、臨時に12時と14時の2本のみ列車を出すということで、観光客らが駅に群がります。今日は無料なので、切符などは不要です。
13:30 バスから降りると、とにかく各自とまっている列車に乗ってくださいと言うことで、雪道をスーツケースを各自引きずり改札を目指します。

このツアーはポーター付だったし、スタアラゴールドで荷物の容量オーバーがOKの私は23kg超のスーツケースでした。雪道では、普段スムーズに動く日本製スーツケースの車輪も何の役にも立ちません。更にノートパソコンなど入った重い荷物などを全部持ち、列車目指して、火事場のバカ力を発揮させて引きずります。

改札は2階ですが、エスカレーターは停電で動いていません。やっとのことで、改札にたどり着くと、セキュリティが列車はもういっぱいだから、もう通せないと言って改札を目の前で締め切りました。16時にももう一本出すからそれに乗ってくれと誰も通してくれません。

現地ガイドが懸命に押し通し、私たちは難民さながら、改札を半ば無理やり突破しました。皆それぞれスーツケースなど荷物を持ったまま出発のせまった列車へと階段を駆け下ります。これに絶対乗らないといけない、そんな難民のような切羽詰った心情だったことは間違いありません。でなければ荷物を持って走るなど通常なら無理なシニアな方も多かったのです。

列車は大混雑で、確かにスーツケース持って乗れる状態ではありませんでした。乗れるところに乗る、ということで、前方の車両へと走り、先に乗っていた人の助けもあって何とか列車に乗ることができました。気付くと、私についてきた3名参加の1人と2人だけ、かなり前方に皆とはぐれて乗っていました。

13:55 列車は発車します。少しほっとしました。車内は大混雑で本当に難民になった気分でした。ツアーの皆が荷物を持って列車に駆け込めたのか、到底信じられない状況でしたが、後で探しに来てくれた添乗員が全員乗っていることを何とか確認したようでした。

しばらくすると車窓から雪景色が消えました。そんな時、日本語で話しかけられました。テルアビブ在住の日本人の方でした。気軽な気持で昨日雪のエルサレムを見に来たのだけど、帰れなくなって今帰るところ、ということでした。

車内放送で事前に指定されていた駅ではなくテルアビブで降りるよう、現地ガイドさんから指示がありました。いろんな言語が車内放送で流れます。いろんな国から来てはぐれてしまった客たちにどこで降りるかなどの放送をサポートしてくれているようです。

15:50 テルアビブ駅に到着しました。普通に動いているエスカレーターがありがたく感じました。私たちの危ないエルサレム脱出はなんとか功を奏したようですが、帰国後皆さんを激しい筋肉痛が襲うでしょう。

テルアビブ駅


駅を出るとエルサレムの駅で別れたはずのドライバーさんが先回りして迎えに来ていました。1号線はまだ閉鎖されていますが、警察に談判して無理に通してもらったそうです。

16:20 テルアビブの白い現代建築郡の観光ということで、ロスチャイド通りでバスを降り散策となりました。もう皆、観光のことなど忘れていました。

テルアビブロスチャイド通り


そういえば、今日の予定はクムランの遺跡観光してからテルアビブに入り、観光後に空港、という予定でした。小雨の中少し歩きます。白い家といっても真っ白というわけでもなく、これまで白い世界にいた私たちには、ちょっとしょぼい感じに見えました。

テルアビブの白い建築群


皆もう観光はどうでもいい、疲れ果てた状態だったので、休憩をすることになりました。東京にも進出しているショコラティエ「マックスブレンナーカフェ」で休憩です。旅行会社のおごりでした。

大繁盛のマックスブレンナーカフェ


17:30 外へ出るともうすっかり真っ暗、周囲の建物が白いかどうかもわからない状態でした。

夜のロスチャイド通り


18:00 テルアビブ・ベン・グリオン空港に到着です。
まずチェックインカウンター前のセキュリティです。並ばされ、グループの場合はまず添乗員が代表質問を受けます。(同じ内容を確認のため誰かもう一人がさせられる。)

どこで泊まったか覚えているのをあげて、このグループは旅行前に知り合いじゃなかったのか、ずっと皆一緒だったか、誰か離団しなかったか、誰かに何かもわわなかったか、ガイドが帽子とかくれたんじゃないか、なんて感じです。

その後、一人ひとり、もしくは2-4人まとめて、3つの質問をされます。①全部自分の荷物か。②誰かから何か預かったものは無いか。③はさみとか~とか武器になりえる危ないものを持っていないか。

テルアビブ・ベン・グリオン空港


これが終わるとスーツケースチェック。じっくりX線で吟味され、出てきたときにバーコードタグみたいのを貼ってくれれば合格。そうでなければ、開ける方へ並ばされます。液体とか練りものを持っていると開けさせられる可能性が高いとのことでしたが、ワイン2本、オイル、ハンドクリーム9本など含め荷物いっぱいの私は一発OKでした。

ツアー中一発OKだったのは10人いなかったので、2/3くらいの確立で並ばされます。その後開ける前に質問され即答した人で開けずにすんだ人もいますが、有無を言わさず開けられた人や、係員によっては念入りにやって時間がかかったりする場合があります。だからこの空港では3時間前に行かなくてはいけないのです。

チェックイン後の手荷物セキュリティチェックは、水もOKだし、ブーツも脱がなくていいし、緩いものでした。出国はさらに簡単で、何の質問もなし、入国のときと色違いのカードを挟んでくれ、所要1分未満、並ぶことすらありませんでした。

21:20 テルアビブ発イスタンブール行TK-789でイスラエルを去ります。近いうちに必ず後半滅茶苦茶になった観光をし直しに来たいと強く思いました。


2013/12/15 (9日目)

イスタンブールでは乗り継ぎはギリギリ。00:50 TK-52便にて、成田へと帰ります。

後日、ユーラシア旅行社からは入場料2500円の返金と、2万円分の旅行券が送られてきました。その会社でしか使えない旅行券なんて、居酒屋のビール券みたいなもので有難くもありません。行程のミスもあってすべてを雪のせいにして免責というのはおかしいとクレームいれましたが、形式ばかりの誠意のない返答が返ってきました。こういう会社だと分かった上で利用したので、仕方ありません。ほとぼりが冷めるまでは利用しないでしょう。

いろいろあったイスラエル旅行で、最後はまるで戦火から逃れる難民のような思いまでしましたが、それでもイスラエルのすごく人を惹きつける魅力が私を捉えたようです。必ずまた行きます。

これでイスラエル旅レポートはおしまいです。いつも以上に長くなってしまったのに最後までお付き合いくださりありがとうございました♪

モロッコ・ラバト

今回から1月に行ったモロッコ・トルコの旅レポートスタートです。阪急交通社のツアー「まるごとトルコ・モロッコ大周遊16日間」に同い年の旅ともさんとの参加です。旅費は燃油込198,000円とかなりお得なツアーでした。21PAX。

2014/01/14 (1日目)

22:00 TK-0053便にて成田からイスタンブールへ向かいます。この便、毎回30分繰り上げで出発です。この時間空港のお店はほとんど閉まっています。モロッコもトルコも両替は現地空港でするのがオススメ、それも日本円から両替ができるので心配ありませんが、保険を空港でかけようと思って来てももう開いてないので要注意です。

2014/01/15 (2日目)

03:15 予定より1時間も早くイスタンブールに到着。TK-53を利用すると早朝について、乗継便を待つ間に寝てしまったりゲートや時間間違えたりして乗り遅れる人が後を絶たないのですが、この日も1組ゲートに現れない方たちがいました。初日でまだ添乗員も顔を覚えていないし、広い空港なので探すのは至難の業です。どうにかゲートクローズ寸前に添乗員が見つけた客を連れて現れ、ほっとしました。

9:50 TK-0617にて、カサブランカへ。
機内で、入国書類書けましたか~と添乗員が回ってきました。目の前に示された彼の入国書類、あ、同じ年だ、と変なことに気付いてしまいました。見慣れた4桁の数字は認知しやすいものです。

13:00 カサブランカ・ムハンマド5世空港に到着。入国では何も聞かれず、いつも通り最後のページに識別番号付きのスタンプが押されます。バゲージクレームへ下りまずは両替、今回は前回の残りもあり滞在も少ないので私は5000円のみ両替しました。8~10日間くらいのツアーでは1万円がオススメです。1ディルハム=約13円。

カサブランカ・ムハンマド5世空港


さて、荷物もピックアップし、いつも通り最後尾を歩いて、バスへと向かいます。
スーツケースをドライバーに預けようとバスに近づくとびっくり。そこには確かに見覚えのある知った顔がいました。

今回でモロッコ3回目で、前の2回とも偶然同じ現地ガイドさんだったのですが、今回はランド(現地手配会社)が前回までと違ったのでまさかそのガイドと再会するとは思ってもいなかったのです。そのガイド、ヒシャムさんがそこにいました。

「ヒシャムさん!3年ぶりです。まさかまた会えるなんて!」と声をかけたら彼もとても驚いていたようです。さすがに過去に2度会った客のことは覚えていたようです。後で添乗員に、彼女マラケシュで自転車に轢かれたんだよ、と言ったとか。余計なことまで覚えてたのですね・・・。

ちなみに日本からのモロッコツアーは最近人気で、それに対応するガイドは山のようにいます。だから3度行って、3度とも同じガイドに当たるのはすごいことです。もっともヒシャムさんのような日本語ガイドは恐らく1桁しかいないので、日本語ガイド同行というツアーならそれほどでもないのかも知れません。彼は事業も始めたそうです。ホームページ http://www.sps-morocco.jp

14:00 カサブランカの空港を出発し、ラバトへと向かいます。1時間半ほどでラバトに入ります。ラバトは首都ですが、私は今回が初めての訪問なのでとても楽しみです。
ラバトに入るとさすが政治の中心地、かわいいモロッコ国旗があちこちの建物の上にびっしりとひらめいています。

ラバト


ラバトは紀元前8世紀フェニキア人の作った町が起源と言われています。ラバトとは城壁都市という意味だけあって、城壁があちこちに見られます。余談ですが、前回の記事で紹介したパレスチナのベツレヘムと姉妹都市です。

ラバトの城壁


15:40 ムハンマド5世の霊廟に到着です。ムハンマド5世は、フランスからの独立を勝ち取った英雄的国王で、現国王の祖父にあたる方です。白に緑の屋根の霊廟はラバト市内の高台にあり、入口の両サイドを騎馬兵が守っています。

ムハンマド5世廟


内部は、インドから取り寄せたマホガ二ーが使われ、とにかく装飾が見事です。下階の中央にあるのが、ムハンマド5世のの棺です。

ムハンマド5世廟内部


ムハンマド5世廟は、壁から天井まで、とにかく美しいタイル細工や彫刻、ステンドグラスなど、細かい模様でぎっしりと埋まっています。豪華というより、繊細な気品ある美しさを感じます。

ムハンマド5世廟内部の繊細な装飾


そして、ムハンマド5世廟の正面には、モスクの遺跡が広がり、その奥にハッサンの塔が建っています。ずらっと並んでいるのはモスクの支柱跡です。この日はモロッコの祝日で、子供含め大勢の人でにぎわっています。

モスクの遺跡とハッサンの塔


ハッサンの塔は、幅16m、高さ44mの未完の塔。12世紀に世界最大級のミナレットとして建設されましたが、建築家マンスールが亡くなった為、半分の高さまでで放棄されてしまったようです。現在修復中のため、上ることも近くで見ることもできません。

ハッサンの塔


16:15 再びバスに乗りウダイヤのカスバまで移動します。ブーレグレグ川という川沿いを走りますが、この川の向こうはサレという町です。今は近くに立派な橋がありますが、昔は小さなボートで行き来をしたようですね。

ブーレグレグ川とサレの町


16:25 ウダイヤのカスバに到着です。いやー、ちょっとこれはテンションあがります。
ウダイヤはベルベル人の部族の名前で、12世紀の城壁を利用した17世紀の城塞です。ブーレグレグ川の河口、大西洋への出口の所に作らています。

ウダイヤのカスバ


中に入ると、スペイン・アンダルシア風の庭が広がっています。庭園からカフェに出て、ごちゃごちゃとした路地を散策します。白い家並みが続き、下半分水色に塗られている独特な村です。

ウダイヤの村


この雰囲気はチュニジアのシディ・ブ・サイドにちょっと似ています。ラバトは、チュニスとも姉妹都市なんだそうです。

ウダイヤの町並み


あちこちで猫が座っていますが、極めつけはこれ。軒先の鉢の中にすっぽり納まる猫ちゃん2匹。ぐっすりお休みのようでとてもかわいいです。

ウダイヤの猫たち


住宅街を抜け、上がってくると多少お店などもあります。お土産っぽいものを売るお店は希少で、キオスクみたいなものが多かったです。カスバの中、あまり観光化していないのがとても気に入りました。

ウダイヤの商店


最後は高台の海辺の上に出てきました。ラバトは首都なので、もっと都会な所かと思っていましたが、すごくモロッコらしい素敵な所でした。次くるときも是非立ち寄りたいです。

ウダイヤのカスバ


次回はラバト~メクネスをレポートします♪
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