カザフスタン・アルマトイ~シムケント

今回から、10月に行ったカザフスタン・キルギスの旅レポートスタートです。ユーラシア旅行社の「遊牧の大地を行く、カザフ・キルギス紀行」に一人参加、旅費は、一人部屋、燃油サーチャージ等諸費用込みで約31万円です。12PAX。

2013/10/04 (1日目)

カザフスタンビザは事前取得、旅行社を通じ、10日ほどで取得しました。
両替は、カザフスタン、キルギスとも日本円からの両替は基本的にできないため、米ドルを用意します。

13:30 OZ-103 成田発ソウル仁川行き、18:20 OZ-577 アルマトイ行きに乗継。
21:33 カザフスタンのアルマトイ(日本語表記ではアルマティとも)に到着。日本との時差は3時間です。入国ではいかにも旧ソ連な帽子、制服の係官がテキパキと仕事をこなし、写真も撮るわりに早く列がさばけました。

空港で両替します。あまり現金は必要ないのではというアドバイスに従い、米ドル30ドルを両替。両替レートは1ドルが152テンゲでした。

22:30 バスにて空港を出発します。迎えに来たガイドは日本語堪能で、見た目も日本人とそっくりでした。137もの民族が暮らす国ということで空港でもいろんな顔立ちが見られました。

22:50 空港から真っ暗な中バスで20分走って、オトラルというホテルに到着です。写真は後日撮ったものですが、外観はかなりくたびれていて、いかにも旧ソ連的な建物です。

アルマトイのホテル、オトラル


日本からのツアーでは大抵このオトラルを利用するようで、同じ便で着いた別のグループも同時に到着していました。ロビーは豪華な感じです。

オトラルのロビー


最初に割り当てられた部屋に行ってみると、うーん、いきなり電気がつきません。部屋は真っ暗、手探りで別のスイッチをオンするとトイレの電気がつきました。いや、これじゃ困る、と通りかかった添乗員に助けを求めたら、別の部屋の鍵をもらってきてくれました。

このホテルは、部屋によって、広さや家具の配置などがバラバラです。ベッドの台数や冷蔵庫の有無とかその中身とか、部屋しだい。入国がスムーズだったので、ある程度の水準にある国という認識でしたが、ちょっと崩れます。

オトラルの部屋の一例


部屋には、バスタブ、ドライヤーあり。水回りも結構よく、温度、水圧、タオルの質などは一定の水準、ただし何故かシャワーカーテンが長すぎて使いにくかったです。コンセントは少ないです。InternetはWi-Fiアクセス無料(id/pw等なし)。

2013/10/05 (2日目)

5:00 モーニングコール、5:50にホテルを出発です。ということで、朝食はお弁当をもらいました。私はこの海外旅行でもらうお弁当が嫌いです。結局ほとんど捨てるので心が痛みます。パン、ハムチーズ、チキン、卵、トマトときゅうり、りんご、ヨーグルト、水、コーヒー紅茶キットが入っていました。

朝食ボックスの中身


6:10 空港に到着。これから乗る国内線、個人チェックインが面倒になったらしく、グループチェックインになったので、待っている間にお弁当を味見して、りんごとヨーグルトをいただくことにしました。セキュリティは水類持ち込みOK、空港内は写真撮影NGです。

7:35 KC-971 エアーアスタナで、シムケントへ向います。エアーアスタナというのはカザフスタンのフラッグキャリアで、アスタナは首都の名前(意味もそのまま首都)。正直乗りたくないなと思いながらこの日を迎えました。しかも沖止め、飛行機乗る際にちょうど日の出の時間でした。

エアーアスタナの機体と朝日


機材はエンブラエル190(EMBRAER190)。思っていたよりも飛行機、シートともきれいだし、CAもまともで、一安心。シート配列はAC-DFの2-2配列。シートにはパーソナルTVなどの設備はありません。フライト時間は約90分だし安全に飛んでくれれば文句はありません。

エアーアスタナエンブラエル190の機内


滑走路へ向うとき、アルマトイ空港の全景が見えました。カザフスタンの首都ではないものの、空の玄関口だけあって、それほどしょぼくはないですが、国際線と国内線兼用で、ゲートの数も知れている、日本の地方空港なみの大きさです。

アルマトイ空港


朝靄の中、山脈が見えます。天山山脈の支脈、アラトー山脈だと思います。

山脈の前のアルマトイ空港


離陸して安定した後には、軽食として、サンドイッチと飲み物が配られました。朝もらったお弁当より安全そうです。

エアーアスタナ機内食(軽食)


飛行機からの眺めは、どこもかしこも霞んで見えます。といっても、町や道などほとんどなく、茶色の平原や山ばかりです。国土が日本の7倍以上と広いとはいえ、ここまで何もないものかとちょっとびっくりです。たまに人工物を見つけると秘密基地か何かじゃないかと疑いたくなります。

カザフスタン上空からの景色


9:00 シムケントに無事到着。小さな空港です。飛行機から降りたら歩いて到着エリアに向いますが、粗末なターンテーブルがあるだけ。荷物が出るまで隣の出発ターミナルまで行ってトイレを利用しておきます。

シムケント空港


9:30 13列ある大型バス、ドライバーとアシスタント、キルギス人日本語ガイドがここから最後まで一緒です。飛行機移動の後なのに、これからバスで4時間も移動するそうです。カザフスタンは、2050年までに先進国になるという政策があり、道路も至る所建設中で、ところどころ未舗装の道を通ります。

カザフスタン道路事情


車窓は、飛行機から見てある程度想像がついていましたが、町っぽいものがほとんどなく、時々集落があるほかは、放牧された動物が目に付くばかり。こちら、らくだ。

放牧されるラクダ


こんな状況ですが、発展途上国ではないので、JICAの事務所がないそうです。海外からの観光客は1年で1千万人、ちなみにこの後行くキルギスはその半分。日本からの観光客は極端に少ないってことですが、その理由は段々自分で体感することになります。

11:20 道路脇に停めてトイレ休憩です。いや、トイレないって聞いていましたがいきなりですか。バスより前が女性、後ろが男性とかそんな感じに振り分けます。この右手、足場の悪い道路脇から茂みに入っていくのですが、草も多くしゃがむのは大変そう。ってことで、トイレは見送ります。

カザフスタンのコンクリート道路脇でトイレ休憩


ところで、上の道路、工事が終わった部分ですが、すごい厚みがわかりますか。30cmくらいあるんじゃないかと。夏の高温期に溶けるのでアスファルトは使えず、コンクリートを使っているのだそうです。修復なしで40年持つのですって。

10分ほどで、また走り出します。車窓に畑っぽいものが見えてきました。綿花の収穫シーズンです。人手で収穫している姿などがちらほら見られます。この綿花から採られる油が料理にふんだんに使われるので、慣れない観光客は要注意、なのだそうです。

綿花の収穫


次回はトルキスタンのホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟をレポートします♪

カザフスタン・トルキスタン(ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟)

2013/10/05 (2日目) 続き

12:15 トルキスタンという町に入ります。トルコのイズミールと姉妹都市で、トルコから結構援助を受けているようです。この町、チューリップの故郷と判明したとか。トルキスタンと聞くと、国の名前?と勘違いします。スタンには国って意味ありますから。

12:30 ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟(Mausoleum of Khoja Ahmed Yasawi)に到着です。日本名だとホージャとかコジャとかとも表記するようです。カザフスタンの世界遺産第1号で、中央アジア最大の歴史建造物です。

ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟(Mausoleum of Khoja Ahmed Yasawi)


ホッジャ・アフメド・ヤサウィさんは12世紀に活躍したイスラム教の伝道者で、その廟なので、多くの巡礼者が訪れる聖地です。大勢人が来るからか駐車場付近にはトイレもあります。駐車場から廟までは結構歩きます。

廟の正面まで来ました。バラがいっぱいのお庭が広がっています。トルコ政府の援助で大規模な修復工事が行われ、今も修復が続いているようです。

ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟正面


手前の小さな建物も肝心のきれいな屋根の部分が修復の足場で覆われています。

修復中


こちらが廟の正面入り口。廟は最初はただの墓だったそうですが、1390年代にティムールによって廟として建てられたそうで、内部には全部で36の部屋があるそうです。ティムールの死去に伴い未完に終わったとのことですが、正面はまさしく完成からほど遠い状況にあります。

ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟未完の正面


当時の建築の方法や順序などがわかって返ってよかったのかもしれませんね。突出た棒はまるで鳩のための休憩所に見えてしまいますが。建築現場に来てしまった、そんな感じです。

飾り気の無い正面


正面のドアです。構えの割りには小さな扉ですね。入場は脇の扉から入ります。女性はスカーフ着用。内部は撮影禁止です。

ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟正面扉


入ると中も修復中です。すぐに直径2メートルはあると思われるデカい鍋があります。ローカルガイドの説明を日本語ガイドが訳してイヤホンで話を聞きながら見ます。鍋は料理をするものだから、お腹一杯食べて平和に暮らしているという意味があるそうです。一度はエルミタージュに持っていかれたという歴史がある、2000トン、3000リットルの鍋でした。

その後、図書室とモスクを見ます。モスクには14世紀のタイルが残っています。このタイルには14の化学元素が入っているのだそうです。

修復中だから見れなかったのかどうか定かではありませんが、肝心のヤサウィさんのお墓は案内してくれませんでした。内部にはウェディングドレス姿の花嫁さんを連れたカップルが何組もひっきりなしに出入りしていました。

入った扉から外へ出て、10分フリータイムとなりました。10分って少なくない?しかもヤサウィさんが修行を積んだという地下モスクには案内してくれないのか、とちょっと落胆します。観光が充実しているからとユーラシア旅行社を選んだのですが、結局のところランド次第なのですね。

時間もないので、さくっと廟の周りを一周することにしました。廟は横に回るとすごくきれいなブルーの様々な形のタイルで彩られています。おいおい、正面の殺風景な外観しか案内しないなんてひどいんじゃないの?と再び思います。

ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟側面のタイル装飾


壁の模様や、窓枠のような飾りの装飾が見事です。大きな建造物ですが、内部はよくあるモスクのような広い空間になっているわけではなくて、どちらかというと小部屋がたくさんあるような建物なので、もっとたくさん窓があってもいいように思いました。

ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟のタイル模様


廟の右手には城壁があります。すぐ近くから上れるようだったので、時間を気にしながらもさくっと上ってみることにしました。

ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟の城壁


城壁の上からは下からはよく見えなかった廟の屋根の部分などがよく見えます。この廟にはドームが2つあり、その1つは細かいブルーのタイルで覆われとても美しいものでした。正面からは見えないものです。

ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟の美しいドーム


裏側に回るとこれまた素晴らしい光景。正面があんななのに裏口は完成していたようです。中央アジアらしい鮮やかな青の建物です。手前にあるのは、一瞬地下モスクかなと思いましたが、どうやら違うようでした。カザフ語かロシア語の案内しかないので、何だかわからないのが残念です。

ホッジャ・アフメド・ヤサウィ廟の裏面


10分後正面に戻ってくると、皆その場で正面の写真を撮って手持ち無沙汰にしていました。何故、正面と中の一部しか案内しないんだろう?少なくとも、正面以外の側面や裏を見ないと、みすぼらしい廟という印象で終わってしまうじゃないか、と不満が募ります。
添乗員は契約で初めての国らしいし、すべては日本語ガイドの匙加減になりそうです。

13:20 観光を終え、すぐ近くのレストランへと移動します。天気はいいし、気温は明らかに30℃以上、この後遺跡に行くので気が滅入ります。世界遺産がある町だけあって、他に何もなくても道路事情などはとてもいいようです。

トルキスタンの町


13:25 すぐ近くのホテルのレストランで昼食、と思ったところが、予約がちゃんと伝わっていなかったのか、席を確保するのに時間がかかりました。お腹空いているのにな。でもホテルのレストランだけあって、雰囲気はばっちりです。(トイレは外にしかなくてきれいじゃないですが。)

トルキスタンのホテル内レストラン


まずは、サラダ。さすがトルキスタン。トルコでそうであったように、きゅうりとトマトです。飲み物代はビール500mlのジョッキが750テンゲ(約500円)、コーラ1リットルが400テンゲ(約270円)でした。

サラダといえばキュウリとトマト


スープの後、メインはラグマン。焼うどんを少しイタリアン風に作って、つまりトマト味にしてチーズかけて、という感じの料理です。味や食感はいいのですが、脂っこいのが難点です。

カザフスタンのラグマン


14:50 オトラルに向けて出発です。

次回はオトラル遺跡をレポートします♪
(イスラエルのガリラヤ湖畔からの更新でした)

カザフスタン・オトラル遺跡

2013/10/05 (2日目) 続き

16:05 オトラル遺跡に到着。気温35℃・・・。
この遺跡、周囲には何もなく、入口の門兼詰所みたいの以外何の建物も見当たりません。バスを降りるにあたって作ったスポーツドリンクを持って行くのを忘れないようにしないと過去何度も味わった熱中症の危険があります。

オトラル遺跡入口


まずは入口にある案内板で大まかな説明を受けます。この写真で見る限り、本当に「遺跡」で何も残っていないようです。実は来る前に想像していたのは、旧市街が崩れた一角に古い痕跡が出てきた、そんな観光地でしたので、本格的な遺跡とわかってびっくりです。

オトラル遺跡案内図


オトラルは、1世紀頃から栄えていたオアシス都市で、1218年モンゴルの通商団をスパイとして皆殺しにするという事件が発生し、その報復としてチンギス・ハーンがモンゴル軍を率いて、壊滅させたという歴史があります。その際にすべての生き物を殺し、都市を壊滅させ、その後一度は復興したそうです。ですが、オアシスが枯れ18世紀には消滅した、とそこまで事前学習しました。またティムールが病死した場所としても有名なのだそうです。来るまで一切知らないお話でした。

入口からは、土煙の舞うような道を歩きます。どこに遺跡があるのか全く見えません。

オトラル遺跡の入口から順路


5分ほど歩いたところで屋根に保護された遺跡に到着。14世紀ごろに王たちが使った浴場の跡だそうです。王族専用で、重要な会議や契約も交わされた場所だったとのことです。93年に発見された遺跡ということです。

オトラル遺跡の王族専用浴場跡


まだ奥へ行きます。都市の遺跡なんだから、他にもいろいろあるんだよね、と思いながらも、どんな遺跡かあまり情報を持っていないし、観光時間がどれくらいかかるのかもわからないのでちょっぴり不安になります。

オトラル遺跡は思ったより広い


しばらく歩き、傾斜の際まで来ると、ちょっと感動する遺構が眼前に広がります。
14~15世紀ころの城壁です。砦のように見えます。立っている地面と壁の間には堀のような段差があるのですが、ロープとか張ってないので恐る恐る見学です。

オトラル遺跡の城壁跡


この城壁の所からさらに、遠くから大きなマウンドに見えた高台に上ります。といっても、道が整備されている訳じゃないので、ヒールやすべる靴だと上れない坂道を登ります。まるで子どもの頃の冒険といったイメージです。上から先ほどの城壁を見下ろします。裏から見ると、何だかわからないですね。

高台から城壁跡を見下ろす


高台の上にも遺跡が広がります。こちらはたぶん、モスクの跡だったと思います。柱の跡が並びます。どこそこにミフラーブがあったとか説明をしていました。

オトラル遺跡モスク跡


その反対側には、宮殿跡があります。何かの建物の跡というのはわかっても、違いは素人にはわかりません。手前には井戸のようなものもあります。

オトラル遺跡宮殿跡


そして高台の端までいくと、11~12世紀頃の作業所の跡という遺跡が見えます。おそらく囲いがしてあるので、建物っぽく見えるのだと思います。ここから見る景色は、地平線まで他の人工物は見当たりません。

オトラル遺跡作業所跡を見下ろす


ガイドに言われ、足元に目をやります。石の他に白っぽいものがそこら中にあります。
骨、です。そこら中、骨がゴロゴロ、家畜や人の骨も・・・。事件とその後のことを思い出し、霊に取り囲まれているような気になりました。今もまだ発掘途中なのです。

オトラル遺跡に産卵する骨のかけら


10分ほど写真タイムで、来た道を戻るということなので、宮殿の上側に上ってみました。上から見ると、確かに宮殿サイズの立派な建物跡なのだとわかります。右手奥の方には団地も広がっていたとか。それにしても、ほかに一切の観光客がいない、貸しきり状態でした。

オトラル遺跡一番の高台から宮殿跡を見下ろす


水分を取りながら自分のペースで入口へ戻ります。そして、出発前にトイレを利用します。トイレは遺跡の外、これです。穴が掘ってあって、囲いがあるだけの粗末なものですが、張り合わせた板が隙間だらけで、この距離より近づくと中見えちゃいます・・・。こうも見晴らしがいいと、囲いがあるだけましなのかもしれませんがドキドキでした。

オトラル遺跡のトイレ


17:00 オトラル遺跡を後にし、シムケントへと戻ります。来るときとは別の道を通りますが、どこもかしこも道路は拡張工事中で、悪路が多いです。片側3車線くらいの広い道路を建設中とのことですが、どれだけ需要があるんでしょう。

どこもかしこも道路工事中のカザフスタン


次回はシムケントをレポートします♪
(エルサレムからの更新でした)
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