エジプト・王家の谷
2009/4/24(3日目)
私がエジプト旅行で一番楽しみにしていたのは、ピラミッドでもアブシンベルでもない。
そう、王家の谷。新王国時代の王墓が集まるナイル西岸の奥深くにある谷。
早朝の飛行機で空路カイロからルクソールへ。そこからは楽々バス観光。
ビジターセンターから王家の谷の入り口まではかわいい乗り物にのって移動。

入り口に到着。さすがに観光客でいっぱい。
正面にはピラミッドに似ていると言われる山、エル・クルン。

当日公開されている墓は地図の横に示されていた。来てみないとどの墓が開いているかは正確にわからないというわけ。ここの墓は、発見された順に番号が付けられていて、現在までに60を超える墓が確認されている。もっとも公開されているのはそのうち十数基。

混み具合を見て、現地ガイドがまずラムセス9世の墓に案内。ちなみに内部の撮影は禁止。
正直、入口からして目立つ大きさ。これじゃ簡単に盗掘されるわけだ。ラムセス9世は第20王朝のファラオなので、墓は直線に伸びている。奥には美しいヌウト女神の夜の書が天井に残され、本当に見事の一言。ちょっと蒸し暑いけどとにかく感動!

長い通路の両脇に書かれた壁画の堀の深さ、丁寧さが、作業が進むにつれ最後には時間がなくなって簡易化されているなど、細部にわたり見ごたえがある。
次は、かの有名なツタンカーメン王墓。第18王朝のものなので、墓は前室から玄室へ直角に曲がる。ここは入場が別チケットになっている。よく知られているように、彼の父とされるアクエンアテンが行った宗教改革に翻弄され、途中でトト・アンク・アテンからトト・アンク・アメン(ツタンカーメン)に改名している。

彼は改名したのに異端の王の一人として、歴代の王名表にその存在が残らなかった。また王墓にしてはあまりに墓が小さかったり、後世のラムセス6世の頃には既にその存在が忘れ去られ、墓を作るときの作業場にしてしまったりで、運よく盗掘を逃れ19世紀の大発見に繋がった。墓の入り口のところに発見当時の様子を示すパネルが2枚程展示されている。

ツタンカーメンの墓は本当に小さい。たぶん、私の住まいのマンションの部屋の方が大きい。通路に壁画もなく、玄室は黄金の壁画があり立派だけど、石棺と黄金の棺がひとつその場に残されているのみで、残りの宝物はカイロの考古学博物館に所狭しと広げられている。
そして、入口通路入ってすぐ前室の左、ひっそりとツタンカーメンのミイラは今も眠っている。黄金のマスクに3重の棺、石棺に、何重もの厨子で守られていたのを全て剥がされ、可愛そうにも見えたけど、唯一自分の墓で今も眠るファラオと言えるのではないだろうか・・・。
近くでは、今も発掘が行われているよう。一度参加してみたいものだと思ったけど、たぶん10分で飽きてしまうような気がする・・・。

王家の谷の王墓はチケットで3つまで入場することができる。残り2つはフリータイムで見学になった。中をゆっくり見たかったので、谷の奥には行かず、入口付近の有名な王墓を見ることにして、ラムセス4世の墓へ。ここには、巨大な棺が残っている。他に何も残っていなくても巨大すぎる石棺だけは誰も持ちだせなかったのだろう。

この王家の谷は掘りつくされたと言われているけど、まだまだ墓の発見されていない第18~20王朝の王がいるので、どこかにその墓があると私は思う。ただ、未盗掘である可能性は極めて低いだろう。そう思うと、現在考古学博物館で眠っているファラオのミイラたちが隠し場所から見つかったのは奇跡に近い。古代より何度も掘り起こされ、瓦礫だらけのこの谷にも、うっすらと道の跡があったりして、まだまだ何かが見つかりそうな雰囲気が漂う。

最後は、入口に最も近く最初に見つかったKV1 ラムセス7世の王墓へ。
メインの通りからはちょっと奥まったところにある。この周囲にはあまり墓が見つかってないので、他にもありそうな雰囲気。

さて、王家の谷は内部は撮影禁止と書いたけど、実際には袖の下で写真を撮ることができる。というより、監視員自ら、小遣い欲しさにけしかけてくるわけ。なんでも金というのがエジプトらしいとは言え、良心に反するので、もちろん撮らなかったけど・・・。(現在は検査が厳しくなっているらしいです)
この谷にはできることなら数日いて、可能な限り全ての墓をゆっくり見てみたいけど、パックツアーだとそうはいかないので、後年の楽しみとして取っておくことにする・・・。
とはいえ、初訪問としては十分に満足だった!
こちらは貴族の墓。広い範囲に点在していて、有名な墓がいくつもあるが、お手頃ツアーでは寄らない。やはり次回以降の楽しみにするしかない。

このあたりの周辺の村。古代から墓泥棒の住む村と見られ、現在でもその疑いは消え去らない。政府は移住政策などを考えているようで、10年後には村があるかどうか・・・
家の下には墓があるに違いない。

次回もルクソール西岸観光のレポートです♪
私がエジプト旅行で一番楽しみにしていたのは、ピラミッドでもアブシンベルでもない。
そう、王家の谷。新王国時代の王墓が集まるナイル西岸の奥深くにある谷。
早朝の飛行機で空路カイロからルクソールへ。そこからは楽々バス観光。
ビジターセンターから王家の谷の入り口まではかわいい乗り物にのって移動。

入り口に到着。さすがに観光客でいっぱい。
正面にはピラミッドに似ていると言われる山、エル・クルン。

当日公開されている墓は地図の横に示されていた。来てみないとどの墓が開いているかは正確にわからないというわけ。ここの墓は、発見された順に番号が付けられていて、現在までに60を超える墓が確認されている。もっとも公開されているのはそのうち十数基。

混み具合を見て、現地ガイドがまずラムセス9世の墓に案内。ちなみに内部の撮影は禁止。
正直、入口からして目立つ大きさ。これじゃ簡単に盗掘されるわけだ。ラムセス9世は第20王朝のファラオなので、墓は直線に伸びている。奥には美しいヌウト女神の夜の書が天井に残され、本当に見事の一言。ちょっと蒸し暑いけどとにかく感動!

長い通路の両脇に書かれた壁画の堀の深さ、丁寧さが、作業が進むにつれ最後には時間がなくなって簡易化されているなど、細部にわたり見ごたえがある。
次は、かの有名なツタンカーメン王墓。第18王朝のものなので、墓は前室から玄室へ直角に曲がる。ここは入場が別チケットになっている。よく知られているように、彼の父とされるアクエンアテンが行った宗教改革に翻弄され、途中でトト・アンク・アテンからトト・アンク・アメン(ツタンカーメン)に改名している。

彼は改名したのに異端の王の一人として、歴代の王名表にその存在が残らなかった。また王墓にしてはあまりに墓が小さかったり、後世のラムセス6世の頃には既にその存在が忘れ去られ、墓を作るときの作業場にしてしまったりで、運よく盗掘を逃れ19世紀の大発見に繋がった。墓の入り口のところに発見当時の様子を示すパネルが2枚程展示されている。

ツタンカーメンの墓は本当に小さい。たぶん、私の住まいのマンションの部屋の方が大きい。通路に壁画もなく、玄室は黄金の壁画があり立派だけど、石棺と黄金の棺がひとつその場に残されているのみで、残りの宝物はカイロの考古学博物館に所狭しと広げられている。
そして、入口通路入ってすぐ前室の左、ひっそりとツタンカーメンのミイラは今も眠っている。黄金のマスクに3重の棺、石棺に、何重もの厨子で守られていたのを全て剥がされ、可愛そうにも見えたけど、唯一自分の墓で今も眠るファラオと言えるのではないだろうか・・・。
近くでは、今も発掘が行われているよう。一度参加してみたいものだと思ったけど、たぶん10分で飽きてしまうような気がする・・・。

王家の谷の王墓はチケットで3つまで入場することができる。残り2つはフリータイムで見学になった。中をゆっくり見たかったので、谷の奥には行かず、入口付近の有名な王墓を見ることにして、ラムセス4世の墓へ。ここには、巨大な棺が残っている。他に何も残っていなくても巨大すぎる石棺だけは誰も持ちだせなかったのだろう。

この王家の谷は掘りつくされたと言われているけど、まだまだ墓の発見されていない第18~20王朝の王がいるので、どこかにその墓があると私は思う。ただ、未盗掘である可能性は極めて低いだろう。そう思うと、現在考古学博物館で眠っているファラオのミイラたちが隠し場所から見つかったのは奇跡に近い。古代より何度も掘り起こされ、瓦礫だらけのこの谷にも、うっすらと道の跡があったりして、まだまだ何かが見つかりそうな雰囲気が漂う。

最後は、入口に最も近く最初に見つかったKV1 ラムセス7世の王墓へ。
メインの通りからはちょっと奥まったところにある。この周囲にはあまり墓が見つかってないので、他にもありそうな雰囲気。

さて、王家の谷は内部は撮影禁止と書いたけど、実際には袖の下で写真を撮ることができる。というより、監視員自ら、小遣い欲しさにけしかけてくるわけ。なんでも金というのがエジプトらしいとは言え、良心に反するので、もちろん撮らなかったけど・・・。(現在は検査が厳しくなっているらしいです)
この谷にはできることなら数日いて、可能な限り全ての墓をゆっくり見てみたいけど、パックツアーだとそうはいかないので、後年の楽しみとして取っておくことにする・・・。
とはいえ、初訪問としては十分に満足だった!
こちらは貴族の墓。広い範囲に点在していて、有名な墓がいくつもあるが、お手頃ツアーでは寄らない。やはり次回以降の楽しみにするしかない。

このあたりの周辺の村。古代から墓泥棒の住む村と見られ、現在でもその疑いは消え去らない。政府は移住政策などを考えているようで、10年後には村があるかどうか・・・
家の下には墓があるに違いない。

次回もルクソール西岸観光のレポートです♪