ホンジュラス・コパン遺跡石彫博物館
2013/04/06(6日目) 続き
13:45 コパン遺跡公園の入り口近くにある石彫博物館(Museo de Escultura、彫刻博物館と訳す場合も)を先に観光します。凝った入り口で、ここから続くトンネルをくぐります。発掘のために彫られたトンネルを模したもののようです。

トンネルをくぐると中央を吹き抜けとした2階建ての博物館内に入ります。1996年開館と比較的新しいですが、建物内はエアコンとかないので日が当たる場所は暑いです。遺跡で発見された主だった石碑(ステラ)などのオリジナルはこちらで見ることができます。

中央にあるド派手で巨大な建造物は、神殿16と呼ばれるピラミッド状構造物の内部調査で見つかった「ロサリラ神殿」の実物大レプリカです。1989年のトンネル調査でピラミッドの下から見つかったそうですが、中央の下段の開口部だけで3メートル弱の高さなので、かなりの大きさになります。コパンが色彩豊かな都市だったことが伺えます。

この博物館で最も貴重な展示物のひとつが、写真手前のアルターQ(アルター=祭壇)です。ロサリラ神殿が埋まっていた神殿16の前にあったもので、コパン王朝の全16代の王が4人ずつ四方に刻まれています。最後の16代目の王ヤシュ・パサフ(日の出という意味の名)が776年に捧げたものです。

こちらが正面。左から2人目が初代王のヤシュ・クック・モ、右から2人目がヤシュ・パサフで王権の象徴であるカウィルの儀杖を初代から受け取るシーンが描かれています。どうやら16代目は15代目の息子ではなかったらしく、弱体化した王朝での王位継承を正当化するのに必死だったようです。ちなみに、初代王の口からガム風船みたいのが出ていますが、故人を表す表現だったみたいです。コパンの王朝は426~820まで約400年続いたことがわかっています。

もう一つの必見展示物はこちら、グラン・プラサ(大広場)にあったステラAです。第13代の舌をかみそうな名前のワシャクラフン・ウバク・カウィル王(通称18ウサギ王)によって造られたもので、王自身が太陽神の図像に囲まれた高浮き彫り技法の石碑です。芸術性、技術とも素晴らしく、当時最盛期だった王朝の様子がわかるようです。

側面や背面にはマヤ文字がびっしりです。もともとステラは王朝の記録のために造られたもので、当時の出来事などが綴られています。この碑文には、コパンの他に、ティカル、カラクルム、パレンケの紋章文字があり周辺の大都市とも交流があったことがわかります。マヤとはこうしたネットワーク国家だったのです。

こちらがコパンの紋章です。こうしてよく見ると不気味です。似たような感じのも多くて、実物から探すのは大変です。

他の展示物もよく見ると奇妙なデザインのものが結構あります。積み上げられている石は見落としがちですが、骸骨です。もちろん死を意味するものです。

こちらは代表的なデザイン、コンゴウインコをモチーフにしたものです。球戯場の両サイドに立てられた建物です。

博物館の見学は英語ガイドが主なものを説明してくれて、後半にフリータイムもくれました。
そんなに広くないので、これから遺跡見学のために体力温存するためにも、ゆっくり一巡するのみに止めます。どれも素晴らしい展示品なので片っ端から写真撮影します。
こちらはエル・セメンテリオと呼ばれる区域の王侯貴族の家です。

どの展示物にも、その展示品が発見された場所と、スペイン語、英語での説明が添えられているので、わかりやすいです。外国語がわからないって場合でも場所だけでも分かれば、後でガイドブックや書籍と照らし合わせることもできますしね。

素晴らしいマヤ彫刻の数々を見られるのでこの博物館はオススメです。全部紹介したいところですが、結構大変なのでこの辺でやめておこうと思います。こちらはちょっとほっとした作品、カエルですかね。有名な遺物もいいですが、こういうのも好きです。

たっぷり一時間近くの見学、最後はベンチと呼ばれるベットのような台の彫刻です。といっても王が使っていたもののようなので王座とも言えるかもしれません。月の神の彫刻部分です。
ウサギがいますね・・・。

次回はいよいよコパン遺跡のレポートに入ります♪
13:45 コパン遺跡公園の入り口近くにある石彫博物館(Museo de Escultura、彫刻博物館と訳す場合も)を先に観光します。凝った入り口で、ここから続くトンネルをくぐります。発掘のために彫られたトンネルを模したもののようです。

トンネルをくぐると中央を吹き抜けとした2階建ての博物館内に入ります。1996年開館と比較的新しいですが、建物内はエアコンとかないので日が当たる場所は暑いです。遺跡で発見された主だった石碑(ステラ)などのオリジナルはこちらで見ることができます。

中央にあるド派手で巨大な建造物は、神殿16と呼ばれるピラミッド状構造物の内部調査で見つかった「ロサリラ神殿」の実物大レプリカです。1989年のトンネル調査でピラミッドの下から見つかったそうですが、中央の下段の開口部だけで3メートル弱の高さなので、かなりの大きさになります。コパンが色彩豊かな都市だったことが伺えます。

この博物館で最も貴重な展示物のひとつが、写真手前のアルターQ(アルター=祭壇)です。ロサリラ神殿が埋まっていた神殿16の前にあったもので、コパン王朝の全16代の王が4人ずつ四方に刻まれています。最後の16代目の王ヤシュ・パサフ(日の出という意味の名)が776年に捧げたものです。

こちらが正面。左から2人目が初代王のヤシュ・クック・モ、右から2人目がヤシュ・パサフで王権の象徴であるカウィルの儀杖を初代から受け取るシーンが描かれています。どうやら16代目は15代目の息子ではなかったらしく、弱体化した王朝での王位継承を正当化するのに必死だったようです。ちなみに、初代王の口からガム風船みたいのが出ていますが、故人を表す表現だったみたいです。コパンの王朝は426~820まで約400年続いたことがわかっています。

もう一つの必見展示物はこちら、グラン・プラサ(大広場)にあったステラAです。第13代の舌をかみそうな名前のワシャクラフン・ウバク・カウィル王(通称18ウサギ王)によって造られたもので、王自身が太陽神の図像に囲まれた高浮き彫り技法の石碑です。芸術性、技術とも素晴らしく、当時最盛期だった王朝の様子がわかるようです。

側面や背面にはマヤ文字がびっしりです。もともとステラは王朝の記録のために造られたもので、当時の出来事などが綴られています。この碑文には、コパンの他に、ティカル、カラクルム、パレンケの紋章文字があり周辺の大都市とも交流があったことがわかります。マヤとはこうしたネットワーク国家だったのです。

こちらがコパンの紋章です。こうしてよく見ると不気味です。似たような感じのも多くて、実物から探すのは大変です。

他の展示物もよく見ると奇妙なデザインのものが結構あります。積み上げられている石は見落としがちですが、骸骨です。もちろん死を意味するものです。

こちらは代表的なデザイン、コンゴウインコをモチーフにしたものです。球戯場の両サイドに立てられた建物です。

博物館の見学は英語ガイドが主なものを説明してくれて、後半にフリータイムもくれました。
そんなに広くないので、これから遺跡見学のために体力温存するためにも、ゆっくり一巡するのみに止めます。どれも素晴らしい展示品なので片っ端から写真撮影します。
こちらはエル・セメンテリオと呼ばれる区域の王侯貴族の家です。

どの展示物にも、その展示品が発見された場所と、スペイン語、英語での説明が添えられているので、わかりやすいです。外国語がわからないって場合でも場所だけでも分かれば、後でガイドブックや書籍と照らし合わせることもできますしね。

素晴らしいマヤ彫刻の数々を見られるのでこの博物館はオススメです。全部紹介したいところですが、結構大変なのでこの辺でやめておこうと思います。こちらはちょっとほっとした作品、カエルですかね。有名な遺物もいいですが、こういうのも好きです。

たっぷり一時間近くの見学、最後はベンチと呼ばれるベットのような台の彫刻です。といっても王が使っていたもののようなので王座とも言えるかもしれません。月の神の彫刻部分です。
ウサギがいますね・・・。

次回はいよいよコパン遺跡のレポートに入ります♪